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気楽に生きるコツ②人生に意味はないと理解する、その1

人生に決められた意味などありません。
食ってクソして寝ても人生です。

こう書かれると、「そりゃそうだよね」って言う人がほとんどだと思います。

しかし、そんなあなた。
本当に、
心の底から、
100%、
納得して、
理解しきれていますか?

もう一度書きます。
人生に決められた意味などありません。
これは大事なことです。

人生無意味論、その1
正解も不正解もない


考えてみてください。
もし人生に決められた意味があったら。

その意味を成している人生が正しい人生で、
意味を成してない人生は間違った人生だ
と、
そうなりませんか?

【正しい人生がある。間違った人生もある】

この勘違いこそが様々な悩みを生みだす元凶であると、僕は考えています。


このnoteの冒頭に「ちゃんと理解しきれていますか?」と書いた理由は、ここにあります。

「人生には意味があるかも?」などとわずかでも思ってしまうと、「正解不正解もあるかも?」という勘違いからは抜け切れません。

もう一度書きます。

人生に決められた意味はありません。
正解も不正解もありません。

さて。

芥川龍之介が「何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である」と書いたのは、人生が無意味であることへの不安だったのでは?と僕は思っています。

人生に意味はないと思うことがつらい。
不安になる。
この気持ちは、僕もわかります。

でも無いものは無いんだからしょうがない!

それならば、その無意味さを利用して気楽に生きようではないか!
僕はそう言いたいのです☺️

人生に意味を問うたら終わりだ って価値観で虫を潰した
僕らにとって哲学とは居酒屋の便所に貼ってあるポエムだ
飲みすぎたときにだけ「頷けなくもないな」なんて頭よぎる代物
翌日には汗と伝票であっという間に干上がる
amazarashi『ぼくら対せかい』

僕にとって哲学とは、「人生を気楽に生きるためのツール作り」です。

正解なんてなんでもいい。なくていい。

「そう考えたら気楽になれるね!」って思える考え方を無限に都合よく利用するだけ。

「人生無意味論」は、間違いなく僕の人生を気楽にしてくれました。

そして明日のテーマは、
「人生の意味は自分で作ってもいい。もちろん、作らなくてもいい」の話。

無限に自由です☺️

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