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NT Live『かもめ』に向けてメモ用

<以下、公式HPより引用>

作:アントン・チェーホフ
脚本:アーニャ・リース
演出:ジェイミー・ロイド
出演:エミリア・クラーク、トム・リース・ハリーズ(『ホワイトラインズ』)、ダニエル・モンクス(『ノーマル・ハート』)、ソフィー・ウー(『フレッシュミート』)、インディラ・ヴァルマ(『ゲーム・オブ・スローンズ』)
​字幕翻訳:柏木しょうこ
シノプシス: アントン・チェーホフの愛と孤独の物語を21世紀にアレンジした作品で、『ゲーム・オブ・スローンズ』のエミリア・クラークがウエストエンドに初登場/初主演した。
名声を欲し現実からの逃げ場を求める若い女性。憧れの女性を追い求める若い男。成功した作家は達成感を求めている。時代を変えるために戦いたい女優。田舎にある孤立した家では、夢は散り、希望は打ち砕かれ、心は傷つく。行き場のない思いは、互いにぶつかり合うしかないのか・・・。さまざまな思いが交差するドラマ。


NT Liveが久しぶりに札幌で上演されるということで自分のためにメモ用にいろいろまとめておこう思う。
今回2023年8月から11月に札幌シネマフロンティアで上演されるNT Liveは『ライフ・オブ・パイ』『フリーバッグ』『かもめ』『るつぼ』の4作。いわゆる古典としては今回の『かもめ』と『るつぼ』で、どちらも比較的上演機会の多い作品であるため演出に注目される。

演出はジェイミー・ロイド。NT Liveでは『シラノ・ド・ベルジュラック』で、剣術の代わりにラップで勝負するシラノ像を作り上げた。『シラノ~』の舞台美術はホワイトキューブのようで、シンプルさ・ミニマムさが印象的なプロダクションだった。実際ミニマムで表現主義的な演出が彼の特徴らしい。
ジェイミー・ロイドは、ハロルド・ピンター作品を手掛けることが多く、英国内でピンター作品を読み解く最も優れた演出家の一人と言われているらしい。今年2023年にはジェシカ・チャステイン主演の『人形の家』がブロードウェイで上演され、有名古典作品の現代翻案演出が多い演出家である。


チェーホフの『かもめ』は上演回数こそ多いものの、なかなか面白いプロダクションに出会うことが難しい作品であると思う。知名度・戯曲の面白さはピカイチだが、例えば2019年にフルキャスト・オーディションで上演された新国立劇場『かもめ』は微妙だった。鈴木裕美演出のこのプロダクションは「喜劇」であることを前面に出し、「10人の残念な人々」というサブタイトルを演出の際にテーマとして設けていた。「喜劇」「10人の残念な人々」というテーマは元の戯曲を丁寧に読み解いている印象を受けたが、戯曲から上演に立ち上がる時になぜか微妙になってしまうのが、『かもめ』という作品に対する印象である。

『かもめ』は、原作のタイトルに「4幕の喜劇」という言葉が実際についている。喜劇である所以は、登場人物の多くが一方通行の思いやすれ違いがあり、あるあるネタのような作劇にあるのではないかと思う。例えば、トレープレフが1幕で披露する芝居のつまらなさについて、過剰に芝居に対して自己評価をしたり、批判された瞬間に異常なほど落ち込むのは、こうゆう人いるなーと思うし、その性格や反応をカルカチュアライズしている。
あと個人的に戯曲内で面白いなと思うのが、トレープレフの自殺にまつわる部分で、この物語の最後にトレープレフが自殺したことが台詞で語られるが、このシーンを劇的にするには3幕の時点で自殺未遂をした描写をしないほうが絶対にいいのではと思う。結局、3幕から4幕(時系列的には数年たっているが)で、簡単に人間は変わらないし、簡単にトレープレフには「劇的」をさせない、というなんか意地悪な作者が見え隠れするのが面白い。



以下、今回のジェイミー・ロイド演出のプロダクションに対する劇評から気になったところを箇条書きでメモする。


The Guardian/Arifa Akbar

●ジェイミー・ロイドのシンプルで魅力的な演出は、作中でトレープレフが演出した作品を目指しているのかもしれない。この非自然主義は、『シラノ・ド・ベルジュラック』を想起させ、プラスチックの椅子を移動させたり、木の壁のセット、マイクを使用する舞台美術も特徴的。
●意図的に眠気を誘う演出で、登場人物たちはピロートークか何かを話しているように思える。夢見心地、酔っぱらっているように台詞が聞こえる。

TimeOut/Andrzej Lukowski

●「サモワール」「風景」「かもめ」という戯曲の特徴を完全に排除している。舞台美術は、キャラクターの感情と人間性で満たし、それ以外の要素(小道具・衣装・振付)は切り捨てた。
●俳優は実際のそのシーンに登場するかどうかは関係なく、常に隣り合わせに座り、故意に不快で閉所恐怖症のような印象を与える。(家族での夕食や、教会の礼拝のようなイメージがある)
また小さい島に閉じ込められているようで、これは『かもめ』の登場人物たちのもつ閉塞感と合致する。
●ロイドの演出が退屈であるということではないが、退屈ということを意図的に引き出す演出である。登場人物は低い声で発話し、アーニャ・リースの翻訳台本を使用したのも、この静かな演出をするのに似合っている。
●トレープレフは、面白みがない人物で、ミソジニーでもある。トリゴーリンは、静かではあるが好感の持てる人物。エミリア・クラーク演じるニーナは、温かさを持ち、男性から好感が持たれる快活さを持つ。またストイックさがあり、通常の上演よりもニーナの持つ苦しみが少ないようにも見える。

VARIETY/David Benedict

●故意にムラのある演出を行っている。サミュエル・ベケットの『かもめ』のよう(??)
●大きな動きは排除され、椅子から立ち上がることもなく、俳優たちが裸足であることは、ピナ・バウシュの影響もあるかもしれない。
●アーニャ・リースによる脚本は演じることに特化され、無駄が省かれている。チェーホフは、人生の選択を邪魔される人々を描くことが多い一方で、どんな役でも魅力的に生き生きと描く。今回の演出では、ゆったりとした平坦な演出によって、印象的な演劇が縮小されている。
●出演者がマイクをつけているため、台詞を囁くことができ、台詞がスピーチというよりも「考え(thought)」のようで現代的なアプローチである。観客をドラマに引き込み、想像力に働きかける演出の一方で、読書のようでエネルギーが薄い。

London Theatre/Suzy Evans

●冒頭、アルカージナがニーナに向けて、彼女の美しさと才能を称賛するシーンがあり、映画やハリウッドで成功を収めたエミリア・クラークへの言葉というメタ的なの面白さがある。
●無駄のないセットは、作品への解釈の余地が残されている。現代的な台詞と古典との融合は、ロイドの『シラノ・ド・ベルジュラック』の解釈とも近い。
●チェーホフの物語が、このプロダクションでは階級の分断と不安に悩む現在社会を反映している。
●エミリア・クラークのニーナは、カリスマ性があり、少しの動きや視線により親密さが感じられる演技である。


2023年2/10(金)に東京でNT Liveが公開された際の公開記念トークイベントの動画が見れる。
登壇者:鈴木裕美さん(演出家)x 上野紀子さん(演劇ライター)

●新国立劇場でフルキャスト・オーディションを実施した際に『かもめ』を提案したのは鈴木裕美から。例えば野田秀樹作品だと、戯曲自体がある演技のスタイルを要求するが、人の営み・ある役柄を演じるという戯曲を選びたかった。男女比、年齢層のバランスの良さもある。「10人の困った人々」というテーマで、それを言わない・やらないほうがいいということを、言って・やってしまう人々を描こうと思った。
●チェーホフとテネシー・ウィリアムズは日本でもファンが多く、観客の頭の中に「自分のかもめ」「自分のガラスの動物園」があり、それが最高と思っているため、大概の上演が気に入らない。
●トレープレフはハンサムな俳優が演じることが多いが、そこは必須ではない。一方ニーナはだれが見てもきれいな人が演じないといけないと思う。
●18歳の女性(ニーナ)に対して、38歳の男性(トリゴーリン)がずっと話をしていることは実際だとかなり変なこと。二人とも寂しいし、ちょっとおかしい。ここが「10人の困った人々」につながってくる。
●3幕ニーナのセリフに「手の扱い方もわからないで立ち尽くしているだけだった。私はひどい演技をしているときの自分は本当につらかった」とある。大仰で、人の心の真実のところで演じない演劇をロイドは嫌いっぽい。そのため俳優を座らせて、本当に起こっていることだけで語らせるという演出をつけている。そのことによって、当事者間に起こっていることの外の出来事はバッサリ捨てている。デリケート、ナイーブな演劇で、ストイックさがあった。
●日本は「観客」(観る)、英語圏ではaudience(聴く)ため、演劇に対して聴く要素が強い。そこに立脚している演出とも思える。

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