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父は偉大だった

子どものころ、父から「人の3倍努力しろ」とずっと言われていた。

小学生くらいは親を喜ばせようと勉強していたが、中学、高校と徐々に反抗し始め、大学になって父は考え方が古いと思うようになった。

勉強しろしか言わないし怖いので父を避けるようになり、会話をすることがなくなった。

父は九州の田舎の出で、兄弟が多く中学を卒業して岡山で働きながら学校に通えるところに就職した。

しかし人間関係がうまくいかず、数年で大阪に出てきた。

ガソリンスタンドで働きながら歯科技工士の学校を卒業し、歯医者に付属する歯科技工所に就職した。

結婚し子どもが生まれ、私が高校を卒業する頃に独立した。

勤め先が代替わりをし、新しい経営者とうまくいかなかったことも理由の一つだが、自分の実力を試したいという話だった。

結果的に成功してお金に困ることはなかったが、ずっと一人だった。戦略的に従業員を雇わないということではなく、一人で仕事をするのがよかったようだ。

それでも腕がいいから全国から仕事の依頼がきていた。保険の効かない高単価の仕事に切り替えても依頼は減らなかった。

土日関係なく仕事をしていた。遅くに仕事を終わって食事をしているときも業界紙を読んでいた。

「人の3倍努力しろ」という父の言葉が響きすぎて、誘惑の多い学生時代には向き合うことができなかった。

紆余曲折あって、私が30を過ぎたころにようやく自分の勤め先や方向性が定まり、父を安心させることができた。

この頃からようやく話をするようになった。盆と正月には子どもを連れて帰るようになった。

大阪のおじいちゃんに会うとおもちゃを買ってもらえると子どもたちは喜び、その表情を見て父は嬉しそうだった。

そんな折、火事があった。

少し前から父は肺の調子が悪く、酸素の吸入器をつけていた。この火事で煙を吸ったこともあり症状が悪化した。1ヶ月入院した。

なにより、父が独立してから買った戸建てが全部燃えてしまった。

このころまだ少し仕事をしていたが、全部辞めた。火事の影響を受けず仕事で使う機材でまだ使えるものは全て知人に譲った。

賃貸マンション住まいになった。

火事がなかったらまだ死んでなかったんじゃないかと思ったりするけど、もう時間は戻らない。

火事自体も隣の人のタバコの失火が原因なので、時間が戻ったところでいずれ発生していたのだろう。

通夜や葬儀で親戚と多く話す時間があった。身近の第三者からの父の話は新鮮だった。

父が怖かったという話をするとみんな驚いていた。近くに住む親戚は父から援助があったり、よくしてもらっていたらしい。

ふとした時に父のことを考えてしまう。人の3倍努力できるかどうかは分からないけどこの言葉は死ぬまで頭から離れないだろう。

明日から新しい年が始まる。転職もしたし色々と頑張っていこうと思う。

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