人口動態にみる常識の変遷

甲子園を観戦していて

たまたま筆者は宮城県代表の仙台育英と福島県代表の聖光学院の試合を観ていたわけですが、宮城県代表といえば東北高校も有名ではあり、仙台育英と東北高校は二強とはいわれていましたが、どちらかというと東北高校のほうがやや主流ではあったようです。
しかし、2010年代に仙台育英が連続して甲子園に出場するようになったのとは対照的に、東北高校は2016年の一回のみであり、零落してしまったという印象は拭えないようです。

宮城県と福島県は原発の処理水の問題でも話題となっているようであり、これに関連して何か面白いネタはないかと考えた時に、両県の人口動態ということが思い浮かんだわけです。

歴史の変遷に思いを致す

人間という生き物は今という瞬間を通してしか物事をみることはできないため、過去・現在・未来さえも今という瞬間を通してしか切り取ることはできません。

つまり、今という瞬間を通して過去・現在・未来は再構築されるわけであり、今はこうであるから、過去もこうであったし、未来もこうなるであろう、というある種の固定観念に支配されることになります。

たとえば現在の東北の中心としての宮城県と仙台市という常識も、仙台育英の初優勝によってなおさら印象付けられた感はあるかもしれませんが、過去には現在の岩手県の平泉に奥州藤原氏が本拠地を置くなどしていたわけであり、歴史全体としてはたしかに宮城県周辺が中心といって過言ではなかったわけですが、一貫してそうだったのかというとそういうわけでもありません。

そのことを端的に示すのが人口動態です。

福島と宮城の人口動態

2023年現在では宮城県の人口は東北一であり、とりわけ仙台市は100万の人口を有する都市として随一であるといえるわけですが、実は戦前にかけては実態はまったく異なっていました。

明治維新を経て都道府県も現在のようなかたちで整備されたわけですが、その段階において東北地方で最も人口が多かったのは実は福島県でありました。

その次が(これも意外といっては怒られそうですが)山形県であり、実は人口という点でみると宮城県は第3位にすぎなかったわけです。

最初の国勢調査が実施されたのは1920年(大正9年)のことであり、1925年の第2回国勢調査において宮城県の人口は山形県を抜き第2位になります。

ここから一貫して福島県と宮城県は第1位と第2位を競うことになるわけです。

その大正年間の時点での福島県の人口は約140万人、宮城県の人口は約100万人ということであり、その段階では福島県が突出していたことがわかります。

しかしこの頃になると仙台駅を中心とするかたちで交通網が整備されはじめることになり、これが現代にいたる大動脈として機能することになったため、その後一貫して宮城県の人口は増加の一途をたどることになりました。

とはいえ終戦直後にあたる1950年(昭和25年)の国勢調査においては福島県の人口は既に200万人を突破しており、その段階において宮城県は約170万人程度であったため、差はじょじょに縮小しつつあったものの、それでも福島県が優位に立っていたわけです。

しかし福島県の人口は東京オリンピック直後にあたる1965年(昭和40年)の第10回国勢調査で200万人を割っており、その後1975年(昭和50年)の第12回国勢調査にかけて200万人を下回る数で推移しました。

その間も宮城県は人口を伸ばしつづけ、第12回国勢調査の段階では福島県に肉薄しています(つまり追い越してはいません)。

その後70年代の終わりにかけて福島県も宮城県も人口を伸ばし200万台の大台を突破するわけですが、その段階で宮城県の人口は福島県を超えることになるわけです。

これが国勢調査というかたちで反映されたのは1980年(昭和55年)の第13回国勢調査においてであり、この段階において福島県の人口は約203万人であるのに対して、宮城県の人口は約208万人となっており、以降一貫して宮城県が首位に立っています。

伊達政宗、そして政令指定都市

そのように宮城県の人口が東北一となった流れで放送開始されたのが1987年のNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』でした。

更には平成元年にあたる1989年4月1日に仙台市は政令指定都市の仲間入りを果たしており、この段階にいたって名実ともに宮城県は東北地方の中心になったといえるでしょう。

それはまさに平成の始まりにあたっているわけであり、ある意味で時代を象徴する変化であったとはいえるでしょう。

しかし宮城県の人口も2000年(平成12年)の第17回国勢調査で頭打ちとなっており、また福島県に関しては原発事故等の影響もあり200万人を大きく下回るなど、順位の変動こそないものの両県とも人口減少の流れは避けられない状況のようです。

いずれにせよ、今という瞬間のみをみるのではなく、過去・現在・未来を見通すことで、歴史の流動性を脳裏に思い描くことができ、われわれの常識というものも知らず知らずのうちに塗り替えられていくものだということに気付けるでしょう。

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