コーヒーを飲みながら思うこと。

コーヒー。好きなんだけど、この嗜好はある種の「面倒力」から生まれたものだ。私がもっと勤勉な人だったら、未だにコーヒー飲めなかったであろう。

そもそも、20代前半くらいまで、コーヒーの何が美味しいのかさっぱりわからなかった。苦いし酸っぱいし。「そもそも苦味と酸味は人間が毒物や腐敗物を体内に取り込まないようにするための防衛機能なんだから、苦くて酸っぱいものなんて摂取しちゃダメだろ!」って思っていた。自分で買うのはもっぱら紅茶かジャスミン茶。烏龍茶も苦いからあまり好きではなかった。

しかし、仕事の打合せとかで、出てくる飲み物はほぼコーヒー。美味しくないなあと思いつつも「コーヒー苦手なんで、他のものを出してください」という一言が出ない。何故なら面倒くさいから。
「他のものを出してください」
と言ったらどうなるか。
「他の飲み物は何が良いですか?」
「他には、何がありますか?」
「紅茶と、烏龍茶と、オレンジジュースがあります」
「あっ、じゃあ紅茶で……」
という一連の会話をしなくてはならない。

面倒くさすぎる!
先方も「面倒くせえヤツだな」って思うに決まってる!

「他人との不必要な会話は極力避ける」
社会人になって私が身につけた処世術のひとつだ。余談であるが他には「先方が提示した納期からギリギリのデッドラインを推し量る」「カップ麺に水入れちゃったらフタ取ってチンしてみる」などの術も身につけた。

閑話休題。

かくして、私は美味しくもないコーヒーを啜りながら打ち合わせを続けたのである。美味しくもないコーヒーだけど、いつも飲んでいるとだんだん慣れる。不味い→飲めなくはない→普通→美味しい。長い年月を経て私はコーヒー好きへと半ば強制的に育てられたのだ。「他のもの出してください」の一言を口に出す労力を惜しんだために。

ブラック派なのも「ミルクください」とか「砂糖ください」と口に出すのが面倒だったからである。

因みに、そのでんでアレすると、私がビールを飲めるようになったのも同じ理由なのだが、いちいち書くほどのことでもないので割愛させて頂く。

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