オランダの画家ヨハネス・フェルメールが洗礼を施された。

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ArtDailyは2020年10月31日に、オランダで中流の生活を描くのを専門にしたオランダの画家ヨハネス、ジャン(Johannes, Jan)、またはヨハン・フェルメール(Johan Vermeer/Johannes Vermeer/本名:ヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフト(Jan van der Meer van Delft)/ヨハネス・レイエルス・フェルメール(Johannes Reyersz Vermeer)1632 - 1675)は、1632年10月31日にオランダのデルフト(Delft)のニューウェ・ケルク(Nieuwe Kerk)で洗礼を施されと報告した。それは両親が結婚して17年目であった。
その時の証人の中には「Pt.ブラマー(Pt. Bramer)」という人物がいるが、これは21年後にフェルメールの結婚に立ち会うことになるデルフトの有能な画家レオナート・ブラマー(Leonaert Bramer)に間違いないといわれている。

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フェルメールは、父方の祖父である仕立て屋のヤン・レイアース(Jan Reyersz)にちなんで名づけられた。

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フェルメールの家庭環境は、現在でいえば中流の下層にあたり、母親は文盲で、父親は勤勉であった。

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フェルメール自身はヤンという名前を使っていないが、オランダの学者の多くは、彼をカルヴァン派(Calvinist)の主流に近づけるために、無意識のうちにヤンと名づけていた。

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フェルメールの生涯と芸術に関するアーカイブの記録はごくわずかしか残っていなかったが、近年の大部分の記録は、ジョン・マイケル・モンティアス(John Michael Montias)によるもので、モンティアスは、既存のすべての法的証言記録、遺言、証書、令状、目録、約束手形、およびその他の公式文書を辛抱強くまとめた。

https://time-az.com/main/detail/62012

本業の絹織物職人を勤める傍ら、パブと宿屋を営んでいたヨハネス・フェルメールの父親のレイニエル・ヤンスゾーン・フォス(Reijnier Janszoon Vos/Reijnier Jansz Vos/1519 - 1652)は後に姓をフォスからファン・デル・メール(van der Meer)に変えている。また、ヨハネス・フェルメールが生まれる前年1631年10月13日に、画家中心のギルドである聖ルカ組合(St. Lucas guild)に画商として登録されている。1629年から1631年の間は、宿屋の主人として記録されている。デルフトの人口は、1600年には17,5000人だったが、1631年には21,000人に増えている。
また、アムステルダムでは、画家が多く住んでいたファッショナブルなシント・アントニェスブレインストラート (Sint Antoniesbreestraat)に住んでいた。

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フェルメールの母親は、ディグナ・バルテンス(Dingenum Baltens/1959 - 1670)であった。

ヨハネス・フェルメールのことが最初に登場するのは、仕立て屋であった父方の祖父ヤン・レイヤレス(Jan Reyersz)が借金を返済した時で、最後は、娘のアリーディス・フェルメール(Aleydis Vermeer)が1749年にハーグで亡くなったときあった。

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ヨハネス・フェルメールには妹のゲートルイ・レイニエール・フェルメール(Geertruijt Reiniers Vermeer/1620 - 1670)がいた。

妻は、キャサリン・レイニアス・ドル・ボルネス(Catharina Reiniersdr Bolnes/1631 - 1683)

ヨハネスールの子供は、
マリア・フェルメール(Maria Vermeer/1654-1713)
エリザベス・フェルメール(Elisabeth Vermeer/1657-1713)
コーネリア・フェルメール(Cornelia Vermeer/1659-1660)
アリーディス・フェルメール(Aleydis Vermeer/1660-1749)
ビアトリクス・フェルメール(Beatrix Vermeer/1661-1702)(8 others
ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer/1663-1688)
ガートルイド・フェルメール(Gertruyd Vermeer/1664–1678)
フランシスカス・フェルメール(Franciscus Vermeer/1665 - ?)
カタリーナ・フェルメール(Catharina Vermeer/1669 - ?)
イグナティウス・フェルメール(Ignatius Vermeer/1672-1713)
という多産であった。

また、フェルメールの大家族の一員で、唯一の残った画像は、フェルメールの妻カタリーナボルネス(Catharina Bolnes)の祖父母を代表する、ハウダのサンジャンスケルクにある窓のステンドグラス(stained glass window in Saint-Janskerk, Gouda)の画像である。

フェルメールも1653年に、聖ルカ組合(St. Lucas guild)の会員になっている。
当時の聖ルカ組合は、画家のパトロンでもあった。

また、フェルメールは1662年、1663年、1670年、1671年に聖ルカ組合の代表になっている。

洗礼は、教会などに保存された資料で明らかになるが、生まれた日は、明らかにならないことが多い。教会などに保存された資料が、のちに戸籍謄本として利用された。

フェルメールは、バロック期を代表する画家オランダのレンブラント(Rembrandt Harmenszoon van Rijn/1606 - 1669)、イタリアのカラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio/1571 - 1610)、フランドルのルーベンス(Peter Paul Rubens/Pieter Pauwel Rubens/Petrus Paulus Rubens/1577 - 1640)、スペインのベラスケス(Diego Rodríguez de Silva y Velázquez/1599/ - 1660)などと共に、その1人であったが、彼の存命中は、適度に成功している地方風俗画家に過ぎなかった。

また、若い女が胸を触らせてお金をもらっている1656年の猥褻な絵「The Procuress」に描かれている左の男は、フェルメールだろうと言われている。

彼が絵画を相対的にほとんど生産しなかった。彼の死で彼の妻と子供に借金を残していったので、彼は、たぶん、明らかに裕福ではなかったと言われている。

死後20年以上たった1696年の競売でも彼の作品は高値が付けられているが、あまりに寡作だったこと、個人コレクションだったため公開されていなかったことから、18世紀に入った途端、フェルメールの名は急速に忘れられていった。

19世紀になり、1866年にフランス人研究家トレ・ビュルガー(Thoré-Bürger)が美術雑誌「ガゼット・デ・ボザール(Gazette des Beaux-Arts)」に著した論文が、フェルメールに関する初の本格的なモノグラフであった。

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今回公開された写真は、2011年03月16日に、ドイツのミュンヘンにある美術館アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek)で、記者会見の参加者が絵画を見て、オランダの画家ヨハネス・フェルメールによる「Holding a Balance」を指差しているところを撮影された。

その日は、175番目の創設記念日で、バイエルン州ミュンヘンで、写真コレクションのプログラムで始まった。

フェルメールの傑作は、一時期バイエルン王マクシミリアン1世ジョセフ(King of Bayern Maximilian 1st Joseph/1756 - 1825)の私的なコレクションであったと言われている。

多くで誤解をされるが、マクシミリアン1世には、バイエルン王と大王がいて、全く別人である。

マクシミリアン1世(Kaiser Maximilians I/1459 – 1519)大王のために、アウグルブルグの印刷工ヨハネス・ショーンシュペルガー(Johann Schönsperger d. Ä. in Augsburg)が1513年に、10冊しか作られなかったマクシミリアン1世の祈祷書(Das Gebetbuch Kaiser Maximilians I)があり、その祈祷書にはアルブレヒト・デュラー(Albrecht Dürer)、ルーカス・クラナッハ(Lucas Cranach)親子、アルブレヒト・アルトドルファー(Albrecht Altdorfer)など、その当時のトップクラスの挿絵画家たちが絵を描いている。

また、活字もそのためだけに作られた。

ミュンヘンには、その本のためだけの宝物館がある。

オランダのデルフト(Delft)の緯度、経度
52°00'41.7"N 4°21'25.4"E
または、
52.011578, 4.357067

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