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世界最高額の天才写真家エルビン・ブルーメンフェルドが死去した。

ArtDailyは2021年07月04日に、1941年に、アメリカに移住し、ダダイズム(Dadaism)とシュルレアリスム(Surrealism)の写真家として、すぐに成功して世界最高額のファッション写真家となり、ハーパーズバザー(Harper's Bazaar)、ライフ(Life)、アメリカンヴォーグ(American Vogue)のフリーランサーとして活躍したエルヴィン・ブルーメンフェルド(Erwin Blumenfeld/1897 - 1969)は、1969年07月04日にイタリアのローマ(Rome)で、心臓発作により死去したと報告した。

彼の世界最高額は、今も抜かれていないという。
彼自身が、ダダイズムとシュルレアリスムのアーティトであった。

彼の死後、彼は写真家として管理された30,000枚のフィルム、8,000枚の白黒プリント、60年代からの何10もの画期的なファッション映画を彼の最後の愛人マリーナ(Marina)に残したことが明らかになった。

彼の孫は、テレビ・プロドューサーで有名なレミー・ブルーメンフェルド(Remy Blumenfeld)である。

https://time-az.com/main/detail/72314

彼は、BBC4で、祖父の伝記「美しい女性を撃った男(The Man Who Shot Beautiful Women)」を制作した。

エルビン・ブルーメンフェルドの父親アルベルト・ブルーメンフェルド(Albert Blumenfeld/1860 - 1913)は、三次梅毒による病気持ちで、療養所に出入りしていた母親エマ・ブルーメンフェルド(Emma Blumenfeld/婚前はエマ・コーン/Emma Cohn/1867 - 1919)との3人目の子供として、ドイツのベルリン(Berlin)で生まれた。彼は、両親を嫌っていたようだ。

彼は勉強するためのお金がなく、婦人服メーカーの見習いとして働き、家族を養っていた。

1913年に彼の父親は亡くなり、エルビン・ブルーメンフェルドは「私は今書いたばかりの詩に涙を垂らし、二度と自慰行為をしたり、母の世話をしたりしないよう厳粛に誓った。私は、その両方の誓いを破った。」と書いている。

1918年に、オランダへ向けて出発した。彼はポール・シトロエン(Paul Citroen)と芸術関係を築こうとしたが、ほとんど成功しなかった。彼はガーソン・ブラザーズ・ファッションハウス(Gerzon Brothers Fashon House)に入社し、衣料品事業に参入した。
グロス(Grosz)、ミノナ(Mynona)、メーリング(Mehring)、シトロエンとダダ運動に参加。Jan Bloomfieldのペンネームでコラージュを描いたり書いたりし、ポール・シトロエンとともに、彼らは「オランダダダセントラーレ(Holland Dadacentrale)」の自称監督になった。

そして、レナ・ブルーメンフェルド(Lena Blumenfeld/婚前はシトロエン/Citroen/1897 - 1994)と結婚した。
子供は
娘のリセット・ブルーメンフェルド(Lisette Blumenfeld/1922 - ?)
息子のハインツ/ヘンリー・アレクサンダー・ブルーメンフェルド(Heinz / Henry Alexander Blumenfeld/1925 - ?)
息子のフランク・ヨーリック・ブルーメンフェルド(Franck Yorick Blumenfeld/1932 - ?)
のほか3人いた。

彼には、パートナーとして、マリーナ・シンツ(Marina Schinz/? - ?)

1930年代には、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)をあざ笑うコラージュ作品を発表した。
1936年にはパリに移住した。
ドイツ占領下の1940年、ユダヤ人であることを理由に強制収容所に収容されたが、脱走して1941年、どうにかしてアメリカに渡った。

彼の兄弟は、
姉のアンニ・ブルメンフェルド(Anni Blumenfeld/1895 - 1925)
弟のハインツ・ブルメンフェルド(Heinz Blumenfeld/1899 - 1919)

彼の個人的な写真作品には、ダダイズム(Dadaism)とシュルレアリスム(Surrealism)の影響が多く見られ、彼は実験室での作業を得意とし、歪曲(distortion)、多重露光(multiple exposure)、フォトモンタージュ(photo-montage)、ソラリゼーション(solarisation)などの写真技術の実験を行った。

1940年代から1950年代にかけては、『ヴォーグ(Vogue)』や『ハーパーズバザー(Harper's Bazaar)』などで活躍したファッション写真や、芸術的なヌード写真で非常に有名になった。1960年代には、自叙伝の執筆に取り組んだが、社会を皮肉った内容であると判断されて出版社がなく、彼の死後に出版された。

彼の孫たちは、ブルーメンフェルトによって残された何千枚もの写真をより広く一般に公開することが任され、もブルーメンフェルトに門戸を開いており、パリのルーブル美術館(Louvre in Paris)、東京のメトロポリタン写真美術館(Metropolitan Museum of Photography in Tokyo)、ロンドンのサマセットハウス(Somerset House in London)で大きなショーが開催された。

今回公開された写真では、1930年頃の自画像(Self Portrait c. 1930.)。
© 2020 Yvette Blumenfeld Georges Deeton.

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