イギリスのアーティストシメオン・ソロモンが誕生した。

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ArtDailyは2020年10月09日に、イギリスの首都ロンドンのビショップスゲートのサンディ通り3番(No. 3 Sandys Street, Bishopsgate, London, England)で、イギリスラファエロ前派画家(English Pre-Raphaelite painter)であったシメオン・ソロモン(Simeon Solomon/1840 - 1905)が、ユダヤ人の名家で、商人であったマイケル・マイヤー・ソロモン(Michael Meyer Solomon/1791 - 1864)とキャサリン・(ケイト)・ソロモン(Catherine (Kate) Solomon/1803 - ?)の末っ子として、1840年10月09日に生まれた。

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兄弟は8人で、
兄のアーロン・ソロモン(Aaron Solomon/1821 - ?)
姉のエリザベス・ソロモン(Elizabeth Solomon1822 - ?)
兄で画家であったアブラハム ソロモン(Abraham Solomon/1823 - 1862)
兄のアイザック・ソロモン(Isaac Solomon/1825 - ?)
姉のエレン・リザース(Ellen Lizars/1827 - 1859)
兄のシルヴェスター・ソロモン(Sylvester Solomon/1829 - ?)
姉で画家であったレベッカ・ソロモン(Rebecca Solomon/1832 - 1886)

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ロンドンで生まれ、教育を受けたシメオン・ソロモンは、1850年頃から兄や姉から絵画の手ほどきを受け始めた。1852年からはキャリーズ・アート・アカデミー(Carey's Art Academy)に通うようになり。同年、姉レベッカ・ソロモンがロイヤル・アカデミー(Royal Academy)で初めて作品を発表している。

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シメオン・ソロモンは、ロイヤル・アカデミー在学中の1857年に、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti)を通じて、ラファエル前派(members of the Pre-Raphaelite)のメンバーや、詩人のアルジャーノン・スウィンバーン(Algernon Charles Swinburne)、画家のエドワード・バーン=ジョーンズ(Edward Burne-Jones)らに紹介された。
1858年には、ロイヤル・アカデミーで初の展覧会を開催。
その後も1858年から1872年にかけてロイヤル・アカデミーで作品展を開催している。ソロモンは、ラファエル前派が好んだ文学的な絵画に加え、ヘブライ語の聖書の一場面や、ユダヤ人の生活や儀式を描いた風俗画などを題材にしていました。
詩人のスウィンバーンとの交流から、1865年にはスウィンバーンの『レスビア・ブランドン(Lesbia Brandon)』の挿絵を担当している.

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1873年、ロンドンのオックスフォード・ストリートにあるストラットフォード・プレイス・ミュー(Stratford Place Mews, off Oxford Street, in London)の公衆便所で逮捕され、ソドミー未遂の罪で罰金£100を科せられた。
1874年には、パリで再び逮捕され、3ヶ月の禁固刑を言い渡された。

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1884年、彼はワークハウスに収容され、そこで作品を作り続けたが、彼の人生と才能はアルコール依存症によって損なわれていった。シメオン・ソロモンは20年後の1905年08月14日に、セントジャイルズのエンデル通りの仕事場(St. Giles's Workhouse, Endell Street)でアルコール依存症による合併症で死去し、ウィルズデンのユダヤ人墓地(grave at Willesden)に埋葬された。

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彼の作品は、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(Victoria and Albert Museum)とレイトンハウス(Leighton House)に常設展示されている。2005年12月、2006年1月にはバーミンガム博物館・美術館で重要な回顧展が開催され、ロンドンでは2006年10月、11月にベン・ウリ・ギャラリーで開催された。

オスカー・ワイルド(Oscar Wilde)がアルフレッド・ダグラス卿(Lord Alfred Douglas)に宛てた長い獄中書簡『De Profundis』の中で、ワイルドは自分の破産について、「バーン・ジョーンズの絵、ホイッスラーの絵、モンティチェリ、シメオン・ソロモン、陶磁器、図書館......(That all my charming things were to be sold: my Burne-Jones drawings: my Whistler drawings: my Monticelli[disambiguation needed]: my Simeon Solomons: my china: my Library…_」と書いている。

アンソニー・パウエル(Anthony Powell)の小説『A Buyer's Market』(『A Dance to the Music of Time』の第2巻)では、ナレーターが画家のディーコン(Deacon)について、ソロモンは自分が尊敬する数少ない画家の一人だと語っている。

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今回公開された写真は、2005年12月から2006年01月に、バーミンガム美術(Birmingham Museum)とギャラロー(Art Gallery)で保持された彼の仕事の重要な回顧展が開催され、そして2006年10月/11月にロンドンのベンウリギャラリー(Ben Uri Gallery)で開催されたとのの写真である。

これは、Shadrach, Meshach, and Abednego, 1863である。

この時代の人は、アヘン戦争の影響で、多くがオピウム中毒であった。

以前から話してきたように、日本には美術館は多くあるのに、なぜデザイン博物館がほとんどないのだろう。

最近は、近代美術館より、ヨーロッパでは、デザイン博物館の時代になり始めている。

ただし、下品な人がデザイン博物館を作ると、売名行為の倉庫になる。

Sandys Street, Bishopsgate, London, Englandの緯度、経度。
51°31'05.9"N 0°04'40.6"W
または、
51.518294, -0.077944

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Endell Street, London, Englandの緯度、経度。
51°30'53.3"N 0°07'30.0"W
または、
51.514808, -0.125011

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2016-07-08---ヴァザルリ財団を訪問者。
2004-12-02---10ポンド以下のグッド・デザイン。
1905-08-14---イギリスのラファエロ前派画家シメオン・ソロモンが死んだ。

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