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フランスの画家オディロン・ルドンが生まれた。

ArtDailyは2022年04月20日に、フランスのシンボリズム、象徴主義の画家、版画家で、ドラフト家で、パステル画家であったオディロン・ルドン(Odilon Redon/ベルトラン・オディロン・ルドン/Bertrand Odilon Redon/1840 - 1916)は、1830年代にルイジアナの奴隷貿易で財を成した父ベルトラン・ルドン(Bertrand Redon/1805 - 1874)の子として、ニューオーリンズで妊娠し、妊娠中のフレンチ・クレオールの母マリー・ゲラン(Marie Guérin/1820 - 1909)と夫婦で大西洋を横断してフランスに帰国して、1840年04月20日に父ベルトラン・ルドン(Bertrand Redon/1798 - 1874)のファーストネームを引き継いで、ベルトラン-ジャン・ルドン(Bertrand-Jean Redon)として、南フランスの大都市ボルドー(Bordeaux, Gironde, Aquitaine, France)で生まれたと報告した。

父ベルトラン・ルドン(Bertrand Redon/1805 - 1874)のファーストネームを引き継いだ。

しかし、母マリー・ゲラン(Marie Guérin/1815 - ?)のニックネーム「オディーユ(Odile)」に由来する愛称「オディロン(Odilon)」で、自他ともに終生この名を用いた。

オディロン・ルドンの兄弟としては、
兄のフェリックス・アーネスト・ルドン(Félix Ernest Redon/abt. 1835 - 1907)
妹のマリー・エルネスティーヌ・ルドン(Marie Ernestine Redon/1849 - 1885)
弟のフェルナンド・ガストン・ルドン(Fernand(Gaston)Redon/1853 - 1921)

https://time-az.com/main/detail/64045

ベルトラン・ルドンは、子供の頃から絵を描き始め、10歳で学校の絵画賞を受賞した。
15歳で本格的にデッサンを学び始めるが、ベルトラン-ジャン・ルドンは父親の跡を継ぐため、父の強い希望で建築家に転向し、350年間以上にわたる歴史があり、建築、絵画、彫刻の分野に芸術家を輩出してきたENSBA(École nationale supérieure des Beaux-Arts/エコール・デ・ボザール)の試験を受けたが、合格できなかったことから、建築家になる夢は挫折した。

これは、オディロン・ルドンにとって、大きなコンプレックスとして、生涯残ったことだろう。

普仏戦争で、一時期芸術活動が停止され、終戦後、パリに移り、ほとんど木炭とリトグラフだけで制作を再開した。

黒を基調とした幻想的な作品を「ノワール(noirs)」と呼んでいた。

1878年に「水の守護霊(Guardian Spirit of the Waters)」で作品が認められるようになり、1879年には『Dans le Rêve』と題した初のリトグラフ・アルバムを出版している。

1890年代に入ると、パステルや油彩を好んで使うようになり、1900年以降は「ノワール」を制作していない。

しかし、1884年にジョリス=カール・ユイスマンス(Joris-Karl Huysmans)が「À rebours(自然に反して)」というカルト小説を発表するまで、ルドンはあまり知られていなかった。

この小説では、ルドンの絵を集めた退廃的な貴族が登場する。

一方、オディロン・ルドンは1880年05月01日に、カミーユ・アントワネット・ファルテ(Camille Antoinette Falte/1853 - 1923)と結婚している。

同世代のモネやルノワールが、画面からあらゆる文学的、物語的要素を拒否して、純粋な日常の感覚の世界を追求していことに不満を持ち、ルドンは、日常を超えて、夢や無意識の織り出す万華鏡のような妖しい人工楽園の物語を創り出した。

しかし、現生まで名前が残っているのは、皮肉にもオディロン・ルドンの方であった。

病弱で内向的な子供であったオディロン・ルドンは、生後2日目にボルドー近郊の町ペイル=ルバード(Peyre-Lebade/シャトー・ペイル=ルバード)へ里子に出され、11歳までの少年期を寂しい田舎の地で親元を離れて過ごしたとされる。

20歳の頃、植物学者アルマン・クラヴォー(Armand Clavaud/1828-90年)と知り合い、顕微鏡下の世界に魅せられるようになり、のちにオディロンが制作した版画には植物学の影響が見られる。版画集『夢の中で』はクラヴォーに捧げたものであった。

しかし、1800年代は、顕微鏡にのめり込んだのは、ルドンに限らなかった。
多くの人が、顕微鏡の世界にのめり込み、なんでも顕微虚で観察していたことが、当時のイラスト新聞などに多く紹介されている。
例えば、マーガリンを顕微鏡で観察して、それが原油に似ていることを発見し、牧草から、石油を作ろうとした人もいた。

まさに、ニュートンが好きだった錬金術の世界であった。

1864年、パリに出てジャン=レオン・ジェロームに入門したが、数か月でやめ、ボルドーに戻って放浪のボヘミアン画家として知られた銅版画家ロドルフ・ブレダン(Rodolphe Bresdin/1822 - 1885)の指導を受け、1878年頃にはアンリ・ファンタン=ラトゥール(Henri Jean Théodore Fantin-Latour/1836 - 1904)から石版画(リトグラフ)の指導を受けている。

今回公開された作品は、オディロン・ルドンによる「The beasts of the sea, round like leather bottles(革のビンのように丸い海獣)」のディテール。

1896年の聖アンソニー誘惑のプレート22(The Temptation of Saint Anthony)リトグラフ。The Kirk Edward Long Collection, 2010.60.22
プレートサイズ:8-3/4インチ×7-1/2インチ。

オディロン・ルドンは1916年07月06日に、76歳で、パリ(Paris, Paris, Île-de-France, France)で死去している。

南フランスの大都市ボルドー(Bordeaux, Gironde, Aquitaine, France)の緯度、経度。
44°50'16.0"N 0°34'45.1"W
または、
44.837789, -0.579181

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