見出し画像

イタリアの画家アントニオ・デル・ポッライオーロが生まれた。

画像1

ArtDailyは2022年01月17日に、イタリア・ルネサンス期の画家、彫刻家、彫刻家、金細工職人で、エナメル技法に大きな貢献をしたアントニオ・デル・ポッライオーロ(Antonio del Pollaiuolo/アントニオ・ディ・ヤコポ・ポッライ/Antonio di Jacopo Pollaiuolo/Antonio del Pollaiolo/1433? - 1498)がフィレンツェで生まれた。

画像2

彼の名前は、父親が鳥肉の売買をしていたことから、イタリア語の鶏小屋(pollaio)に由来していると言われ、弟のピエロ・デル・ポッライオーロ(Piero del Pollaiolo/ピエロ・ベンチ/Piero Benci/1441? - 1496)も画家で、よく一緒に仕事をしていた。

https://time-az.com/main/detail/76044

アントニオ・デル・ポッライオーロは最初、金細工・金属細工を、父親か、画家であったアンドレア・デル・カスターニョ(Andrea del Castagno/1421? - 1457)のどちらかから学んだ。カスターニョはおそらく絵も教えたのだろう。

画像3

兄弟は、人体解剖学への関心が高く、知識の向上のため、実際に解剖を行ったといわれている。

アントニオ・デル・ポッライオーロの描いた絵画は、過剰な残虐性が描かれ、女性を描いた肖像画は、15世紀の肖像画の特徴として、落ち着きと服装のディテールに細心の注意払って描いている。

画像4

しかし、認められたのは彫刻家として、また金属細工師として認められ、絵画はミケランジェロの弟子で、ジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari/1511 - 1574)のミケランジェロを中心にルネサンス期の芸術家133人の作品と生涯を記して、1550年に出版さあれた著書『画家・彫刻家・建築家列伝(Le Vite delle più eccellenti pittori, scultori, e architettori/Lives of the Most Excellent Painters, Sculptors, and Architects)』には、弟ピエロ・デル・ポッライオーロのことも記されているように弟であった。

画像6

しかし、多くの場合、弟のピエトロと共作だったので、正確には、どれが彼の作品かを判断することは難しい。

アントニオ・デル・ポッライオーロの銅版画で、唯一現存しているものは、フィレンツェ、ウフィッツィ(Uffizi, Florence)美術館にある1470年頃の作品「Battle of the Nudes 」だけである。

アントニオ・デル・ポッライオーロは、ローマで死去し、ローマのサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ(San Pietro in Vincoli)聖堂で、弟の隣に記念碑が建てられ、埋葬された。

画像5


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?