ナチスに挑んだニュージーランドで生まれの女スパイ、彼女はいつも逃げ切った。

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米国のMedium Daily Digestは2021年09月25日に、ジェイコブ・ウィルキンス(Jacob Wilkins)の、有名な女性スパイの物語を紹介した。

第二次世界大戦から連想する名前を考えてみると、ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)、ジョセフ・スターリン(Joseph Stalin,)、フランクリン・D・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt)、そしてアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)などが思い浮かぶ。
しかし、このような歴史上の人物を紹介することも重要だが、ナンシー・ウェイク(Nancy Wake/1912 - 2011)という名前を聞いたことがないないだろうか、第二次世界大戦中、この英雄的な女性は実に素晴らしい活躍をした。

ナンシーはニュージーランドで生まれ、オーストラリアのシドニーで育った。

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ナンシーは看護師を目指していたが、結局、ジャーナリストとしてヨーロッパで働いた。1930年代のナチスの台頭を目の当たりにし、ユダヤ人に対する暴力に愕然としたという。
1939年に戦争が始まったとき、ナンシーは夫のアンリ・フィオッカ(Henri Fiocca)とともにフランスのマルセイユ(Marseilles, France)に住んでいた。

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ナンシーはナチスを倒してほしいと思い、救急車の運転手として働き始め、負傷した兵士を安全に運ぶ手助けをしていた。
しかし、それはほんの始まりに過ぎなかった。
ナンシーは、撃墜されたイギリス人の戦闘機パイロットと偶然出会い、ナチスの目を逃れて彼をフランスから逃がし、スペインの国境まで密航させた。ナンシーは、
ナンシーはもっと多くの兵士を救いたいと思い、自分の救急車の後ろに連合軍の兵士を隠し、フランスからの脱出を手伝った。
しかし、時が経つにつれ、ナチスはナンシーの動きに疑いを持ち始めた。
1943年初頭、ナチスは彼女を捕らえて投獄した。彼女は殴られたり、尋問されたりしたが、フランスのレジスタンスの助けを借りて、ナンシーは脱出した。しかし、ナチスはそう簡単には彼女を逃がさなかった。ナチスは彼女を追跡し、列車でスペイン国境近くのフランスの都市ペルピニャン(Perpignan)に向かう彼女を待ち伏せしていた。
ナンシーは仲間と一緒に列車からブドウ畑に飛び込んだ。ナチスは銃撃してきたが、ナンシーは銃弾を避けて再び逃走した。

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ナンシーは、1943年6月にイギリスに到着した。ナチスの脅威からは逃れられたものの、フランスのレジスタンスに協力したいと考えていた。
ナンシーは "First Aid Nursing Yeomanry "という組織に参加したが、この組織の名前は偽装であった。
ナンシーはスコットランドで厳しい訓練を受けた。体力勝負はもちろんのこと、敵のいる建物への侵入、爆発物の作り方、無線機の操作、パラシュートの使い方、武器の撃ち方などを学んだ。彼女は後者が得意で、ライフルの名手として知られていた。
ナンシーは、訓練の一環としてハンプシャー州のニューフォレスト(New Forest in Hampshire for part of her training)にも足を運んだ。ここでは、ドイツ軍の階級、航空機、連隊のバッジを識別する方法を学んだ。
1944年3月1日、彼女はパラシュートでフランスに帰還した。

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ナンシーはショード・アイグ(Chaudes-Aigues)に司令部を置き、7,000人の兵士を指揮した。彼らはタフで反抗的であった。彼らは女性に率いられることを好まなかった-少なくとも最初は。
しかし、ナンシーは部下たちから尊敬されるようになっていった。ナンシーは、フランスのレジスタンスの様々な派閥を、自分のリーダーシップのもとにまとめ上げた。
イギリス軍が投下した武器を使って、ナンシーとその兵士たちはナチスの輸送隊や物資を攻撃し、銃弾と爆発の波で敵を破壊していった。
激怒したナチスは、ショーデ・エーグ(Chaudes-Aigues)の反乱軍に本格的な軍事攻撃を開始した。
農家を焼き払い、人質を取り、反乱軍を木に吊るして、ナチスに反対する者への警告とした。
もちろん、ナンシーは再び逃げ出し、フランスのアリエ地区(Allier district of France)で2,000人の部隊を率いてナチスに抵抗し続けた。ナンシーは多くの攻撃のブレーンであったが、常に最前線に身を置くことを厭わなかったのである。
ナチスの輸送船団を攻撃するだけでなく、ナンシーたちは橋を爆破したり、敵の司令部を襲撃したり、連合軍のために武器を集めたりしていた。ナチスはナンシーを捕らえようと必死で、一時はゲシュタポの最重要指名手配の女性リストのトップになったこともある。

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