メキシコの画家で、イラストレーターのミゲル・コバルビアスが生まれた。

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ArtDailyは2020年11月21日に、メキシコの画家、風刺画家、イラストレーター、民族学者、および美術史家であったミゲル・コバルビアス(Miguel Covarrubias)と知られているホセ・ミゲル・コバルビアス・デュクラウド(José Miguel Covarrubias Duclaud/1904 - 1957)は、フランスとスペイン出身の両親の子でメキシコに住んでいたエレナ・デュクラウド・フエロ(Elena Duclaud Fuero/1878 - ?)と土木技師であったホセ・コバルビアス・アコスタ(José Covarrubias Acosta/1851 - 1935)の長男としてメキシコ・シティ(Mexico City)のボヘミアン地区で1904年11月22日に生まれた。

誕生日が1904年11月22日と、1904年11月21日がある。

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彼の兄弟は、
弟のカルロス・コバルビアス・デュクラウド(Carlos Covarrubias Duclaud/? - ?)
弟のルイス・コバルビアス・デュクラウド(Luis Covarrubias Duclaud/1919 - 1987)
妹のエレナ・コバルビアス・デュクラウド(Elena Covarrubias Duclaud/? - ?)
妹のジュリア・コバルビアス・デュクラウド(Julia Covarrubias Duclaud/? - ?)
弟のホセ・コバルビアス・デュクラウド(José Covarrubias Duclaud/? - ?)

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また彼の妻は、カリフォルニア生まれのローズ・ロランド(Rosa de Covarrubias (Rolando)で、西洋以外の文化から強い影響を受けたモダンダンサー、振付師であった。
マン・レイ(Man Ray)は、アンティークショップで見つけたワインプレスのスクリューの横で彼女を撮影した。
また、彫刻家のコンスタンティン・ブランクーシ(Constantin Brancusi)も、写真の小道具としてネジを頻繁に使用し、スタジオに置いておくこともあった。

彼の最初の作品は、10歳の時に、トイレの椅子に座って足首の周りにズボンを下ろした歯の生えた少年の自画像であった。

https://time-az.com/main/detail/62251

14歳で父親のために地図を描くために働き、そこで画家のアントニオ・ルイス「エル・コルシト」(Antonio Ruiz "El Corcito")と友達になり、やがて独学で画家になった。

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ミゲル・コバルビアスの父親ホセ・コバルビアスは歴代内閣で大臣を務める名家で、ミゲル・コバルビアスは早くからメキシコの新聞に風刺画を載せるなどの活躍をみせ、1923年に19歳で、メキシコ政府の奨学金で、彼は1923年にニューヨーク市に移り、イラストレーター、舞台美術家、風刺画家として認められ、ニューヨークでは各新聞や米国の雑誌ニューヨーカー『ニューヨーカー(New Yorker)』と『バニティ・フェア(Vanity Fair)』などの雑誌の紙面を飾るようになり、たちまち有名人となった。

1925年には、最初の画集を出版している。

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ミゲル・コバルビアスは、1930年にアメリカ人のダンサー兼振付家ロサ・ロランド(Rosa Rolando /実名;ローズモンド・コーワン/Rosemonde Cowan/後に、ロザ・コバルビアス/Rosa Covarrubiasとも言った)と結婚した。
2人は、グレゴール・クラウゼ(Gregor Krause/1883 - 1959)の写真集『バリ島(BALI : Land Volk Tänze Feste Tempel, Georg Müller Verlag A.G., München, 1926)』に魅せられ、バリ島へ新婚旅行に出かけた。

1933年に再びバリに戻り、長期滞在する。

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この間には、ジャワ島、インド、ベトナムなども旅し、1936年に、バリ島での体験・見聞を『バリ島(Island of Bali)』にまとめ出版している。

1939年にサンフランシスコで開催されたゴールデンゲート国際博覧会(Golden Gate International Exposition in San Fransisco in 1939)のために6つの壁画を描いた。その壁画は、太平洋とその地域に関連する人々と文化の詳細な地図であった。

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また、メキシコに戻ると、コバルビアスはメキシコ・インディオの遺跡を訪ねる旅を繰り返し、1946年に『メキシコ南部)Mexico South)』を、1954年には『鷲、ジャガー、蛇(The Eagle, the Jaguar, and the Serpent)』を著わし、
ミゲル・コバルビアスは、ニューヨークを拠点として活躍するととももに、1930年代以降はバリ島での民俗学的研究やメキシコの古代文明を対象とした考古学的研究に没頭した。

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今回公開されたミゲル・コバルビアスのアートワークは、オルメック(Olmec)としての自身の似顔絵。

ミゲル・コバルビアスは1957年02月04日に、メキシコシティで死去した。

メキシコ・シティのボヘミアン地区(Mexico City's Bohemian Quarter)の緯度、経度。
19°25'58.7"N 99°10'04.1"W
または、
19.432958, -99.167800

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