スペインで生まれたメキシコ人レメディオス・バロが生まれた。

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ArtDailyは2021年12月16日に、メキシコ人のパラ-シュルレアリスムの画家(para-surrealist painter)で、無政府主義者(anarchist)であったメディオス・ヴァロ・ウランガ(Remedios Varo Uranga/Remedios Varo/María de los Remedios Alicia Rodriga Varo y Uranga/1908 - 1963)は、スペインのジローナのアングレス(Anglès, Girona)で、建設業者で水力エンジニアであった父ドン・ロドリゴ・バロ・セハルバ(Rodrigo Varo y Zajalvo)と、母ドウニャ・イグラシア・ウランガ・ベルガレーチェ(Ignacia Uranga Bergareche)の子としてスペインのカタロニア地方の小さな町ジローナ(Girona, Catalonia)で生まれた3人兄弟の第2子、唯一の女児として1908年12月16日に生まれたと報告した。

兄がロドリゴ(Rodrigo Varo y Uranga)で、弟がルイス(Luis Varo y Uranga)であった。

https://time-az.com/main/detail/62547

彼女の名前は、敬虔なカトリック教徒であった母親が、ロス・レメディオスの聖母であるアングレの守護聖人ヴィルゲン・デ・ロス・レメディオス(saint of Anglès, the Virgin of Los Remedios)に敬意を表し、ヴァロ(Varo)と名付けた。

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父親の仕事の関係で、スペイン全土、北アフリカにまで家族と共に赴いた。

また、仕事場からよく図面を持ち帰ってきては、幼いレメディオス・バロに模写させていた。

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父親は子供たちにリベラルな教育を受けさせたかったが、母親の希望で中流家庭の子弟が学ぶカトリック系の学校で学ばせた。

カトリックの社会的・宗教的価値を詰め込まれる厳しい学校生活はバロにとって苦痛で、冒険物語や旅行記、神秘主義や東洋思想に魅せられたと述懐している。

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父親は、バロに絵の才能を認め、バロは15歳の時、同時期にサルバドール・ダリ(Salvador Dalí/1904 - 1989)も就学していた、スペインの首都マドリードにあるリアル・アカデミア・デ・バラス・アルテス・デ・サン・フェルナンド(Real Academia de Bellas Artes de San Fernando, in Madrid/サン・フェルナンド美術学校)に入学させ、絵画の基礎技術をたたきこまれた。

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そこで、バスクの画家ジェラルド・リザラガ(Gerardo Lizárraga)に会って、1930年にマドリードのグループ展に参加し。サン・セバスティアン(San Sebastian)で彼と結婚した。

スペイン内戦の間、彼女は、シュルレアリスムの画家としての活動のため、彼女が大いに影響されたパリに逃げた。

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パリでは貧困のため、生き残るため、絵画をコピーし、さらには偽造しなければならなかった。

彼女は、1936年にバルセロナのガレリア・カタロニア(Galeria Catalonia de Barcelone)で開催されたロジコフォビスタ展('exposition Logicofobista)に参加し、テルエル戦線でドゥルティ隊のアナキストとともに戦っていた(venu combattre avec les anarchistes de la colonne Durruti sur le front de Teruel2)バルセロナで彼女の2番目の夫で、フランスのシュルレアリスムの詩人ベンジャミン・ペレ(Victor Maurice Paul Benjamin Péret/1899-1959)と会って、1936年に結婚した。

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ペレは彼の政治的信念のためにフランス政府によって投獄され、彼女は、彼のロマンチックなパートナーとして投獄された。

彼女が釈放された数日後、ドイツ人はパリに入り、彼女はフランスを離れる他の難民に加わることを余儀なくされた。ペレはすぐに釈放され、2人は戦争から逃れるため、メキシコへのビザをを何とか入手するために待っている間に、マルセイユのラ・ポム(La Pomme)地区にあるアメリカ人ジャーナリスト、ヴァリアン・フライ(Varian Fry)の別荘「エアベル(Air-Bel)」に避難していたアンドレ・ブルトン(André Breton)とシュルレアリストたちに出会った。

彼らは1941年に、フランスを離れ、メキシコへ向かうことができた。

そこで彼女は、ジェラルド・リザラガ(Gerardo Lizarraga)、エステバン・フランセス(Esteban Francés)、レオノーラ・キャリントン(Leonora Carrington)、ゴードン・オンズロー=フォード(Gordon Onslow-Ford)、ウォルフガング・パーレン(Wolfgang Paalen)とその妻アリス・ラホン(Alice Rahon)に出会った。

1947年、ベンジャミン・ペレと別れ、その後、パリのメグ画廊(galerie Maeght à Paris)で開催された「国際シュルレアリスム展(l' Exposition internationale du surréalisme)」に参加。

兄のロドリゴ・バロ博士(docteur Rodrigo Varo)と昆虫学の探検に参加したベネズエラの旅で、ウォルター・グルーンに出会い、再び絵を描くように勧められた。1953年には、ワルター・グルーン(Walter Gruen)と3度目の結婚んをしている。

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今回公開された絵は、レメディオス・ヴァロが1962年描いた「Vampiros vegetarianos(ベジタリアンの吸血鬼)」で、キャンバスに油彩。
クリスティーズのオークションで2015年に予想価格US$150万-200万で売り出された。

写真:Christie's Images Ltd 2015

カタロニア地方の小さな町ジローナ(Girona, Catalonia)の緯度、経度。
41°58'45.8"N 2°49'17.1"E
または、
41.979400, 2.821425

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