南アフリカのケープタウンで、デズモンド・ツツ大主教が90歳で亡くなった。

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AP通信は2021年12月26にちに、ユーモアと感動的なメッセージ、市民権と人権のための良心的な活動により、母国南アフリカのアパルト(apartheid)ヘイト廃止の闘いにおいて尊敬される指導者となり、ノーベル平和賞を受賞(the Nobel Peace Prize-winning)した英国国教会のデズモンド・ツツ大主教(Archbishop Desmond Tutu)は、90歳出なくなったと報告した。

https://time-az.com/main/detail/75904

南アフリカのシリル・ラマフォサ大統領(South African President Cyril Ramaphosa)は、日曜日にツツの死を確認するステートメントで、ツツの家族や友人に哀悼の意を表し、「比類なき愛国者(a patriot without equal)」と呼んだ。

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「並外れた知性、誠実さ、アパルトヘイトの力に対する無敵の人でありながら、アパルトヘイト下で抑圧、不正、暴力に苦しんだ人々や、世界中の抑圧され虐げられた人々に対する思いやりは、優しく弱々しい人だった。」とラマフォサは言った。

ツツは何年も体調を崩していた。
2013年には持続的な感染症の検査を受け、その後も何度か入院していた。

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60年間、ツツ(愛称「アーチ(the Arch)」)は南アフリカ政府に対し、人種隔離政策であるアパルトヘイトの廃止を促す主要な声の1つだった。

1990年代初頭にアパルトヘイトが終焉し、長く投獄されていたネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)が大統領に就任すると、ツツは南アフリカの真実和解委員会の議長(chair of South Africa's Truth and Reconciliation Commission)に任命した。
ネルソン・マンデラ財団(Nelson Mandela foundation)は、ツツさんの喪失を「計り知れない」(Tutu's loss "immeasurable.")と呼んだ。
「彼は人生よりも大きな存在であり、南アフリカや世界中の多くの人々にとって彼の人生は祝福であった。(He was larger than life, and for so many in South Africa and around the world his life has been a blessing,)」と財団は声明で述べている。

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「彼の不正に対する闘いへの貢献は、地域的にも世界的にも、人間社会のための解放的な未来を作るという彼の考えの深さに匹敵するものです。(His contributions to struggles against injustice, locally and globally, are matched only by the depth of his thinking about the making of liberatory futures for human societies.)」
ツツさんの市民権や人権に関する活動は、世界各国から著名な栄誉につながりました。

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2009年には、バラク・オバマ前米国大統領(Former US President Barack Obama)から2009年大統領自由勲章(the Presidential Medal of Freedom in 2009)を授与された。2012年、ツツは、「権力に真実を語るという生涯のコミットメント(his lifelong commitment to speaking truth to power.)」に対して、モー・イブラヒム財団(Mo Ibrahim Foundation)からUS$100万の助成金を授与された。翌年には、「愛と許しといった精神的原則を推進し、世界中の人々の解放に貢献した生涯の業績(life-long work in advancing spiritual principles such as love and forgiveness which has helped to liberate people around the world.)」が評価され、テンプルトン賞(the Templeton Prize)を受賞している

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最も注目すべきは、1960年に同国のアルバート・ルトゥーリ(Albert Lutuli)が受賞したのに続き、1984年にノーベル平和賞(1984 Nobel Peace Prize)を受賞した。
このノーベル賞は、アパルトヘイトに対する抗議運動をきっかけに獲得した、南アフリカにおけるツツの功労者としての地位を確固たるものにした。南アフリカは1964年から1988年までオリンピックへの参加を禁止されるなど、南アフリカ国内でもこの政策への怒りが広がっていたが、南アフリカ政府は、アフリカ民族会議という政党を禁止し、マンデラを含むその指導者を投獄するなど、反対運動を鎮圧した。

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ツツの同僚で南アフリカ教会協議会の前会長フランク・チカネ牧師(Rev. Frank Chikane_は、聖職者が率先して発言することが重要だと述べた。
「教会は人々の保護者であり、人々の代弁者であるという段階に達したのです。(We reached the stage where the church was a protector of the people, who was the voice for the people,)」と、チカネはCNNに語った。
現ケープタウン大主教で南部アフリカ聖公会のメトロポリタンであるタボ・マクゴバ(The current archbishop of Cape Town and metropolitan of the Anglican Church of Southern Africa, Thabo Makgoba)は、教会はツツの葬儀と追悼式を計画すると述べた。
「デズモンド・ツツ氏の遺産は、道徳的な強さ、道徳的な勇気、そして明晰さです。(Desmond Tutu's legacy is moral strength, moral courage and clarity," Makgoba said in a statement.)」
「彼は民衆と共にありました。人前で、そして一人で、彼は人々の痛みを感じ、泣いた。そして、彼は笑った--いや、笑っただけでなく、人々の喜びを分かち合うとき、彼は喜びで笑ったのだ。(He felt with the people. In public and alone, he cried because he felt people's pain. And he laughed -- no, not just laughed, he cackled with delight when he shared their joy.)」とマックゴバは声明で述べている。

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