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田中角栄元首相の旧邸宅「目白御殿」全焼。
毎日新聞は2024年01月08日16時08分に第一報として、「田中角栄元首相の旧邸宅「目白御殿」で全焼。東京・目白台、なお延焼中」と報告してきた。
すぐに気がついたのは、吉田茂の旧邸宅の火災であった。
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ただ、吉田茂の旧邸宅の火災では、炎が見え、大変だと感じたが、「目白御殿」は煙だけであったので消火されると思っていた。
2024年01月08日15時20分分ごろ、東京都文京区目白台1の公園にいた人から「田中角栄の家の方から煙が出ている」と110番があった。警視庁大塚署員が駆けつけ、田中角栄元首相(故人)の邸宅だった建物から出火しているのを確認した。大塚署によると、けが人の情報は確認されておらず、午後4時20分現在も建物は延焼中で、消火作業が続いていた。
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その後の情報として、日刊スポーツが2024年01月08日19時55分に、東京消防庁などによると、2階建ての建物から出火し、約800平方メートルが全焼。雑木林なども燃えたと伝えた。
敷地内には角栄氏の長女、田中真紀子元外相(79)と夫の田中直紀元防衛相(83)夫妻が普段暮らす自宅がある。
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夫妻は火災発生時、敷地内にいたものの避難しており、けがなどはなかった。
関係者によると、田中真紀子は、火元となった建物で「線香をあげていた」という趣旨の説明をしているという。
東京消防庁や警視庁が、詳しい出火原因を調べている。現場一帯は、鎮火後の8日夜になっても焦げ臭いにおいが漂い、周辺の道路は一部、交通規制が敷かれた。
火災現場となった田中角栄邸は、昭和の日本政治史の重要な舞台となってきた。有力政治家をはじめ、多くの政財界の関係者が「角栄詣で」を行い、田中角栄が敷地内の池のコイにえさをまく姿も、おなじみだった。
また、御託を並べた記者に、「どこのもんだ!」と言うと、「東京新聞です。」と返事が返ってきたことを思い出す。
あの頃、骨のある記者は、東京新聞だけだった。
邸宅の敷地はかつて総面積8230平方メートルに及んだが、93年12月の角栄氏の逝去後、真紀子氏らが相続税の現金での全額納付をあきらめ、4割弱の約3000平方メートルを「物納」して、話題になった。
現場はJR目白駅から約1.5kmの位置にあり、周囲には目白台運動公園や日本女子大キャンパスもある文教地区。近所の住民の女性は「炎と煙が高く上がって、勢いがすごかった」と振り返り、別の70代男性は「長年親しんできた角栄さんの家で火事が起きるとは、新年早々悲しい。真紀子さんのことが心配」と沈んだ声で話した。
田中角栄は2023年、没後30年を迎えたが、近年の政治状況を受けて最近、改めて角栄氏の手腕に注目が集まる「角栄ブーム」が起きていた。真紀子は2023年12月に国会内で行った講演で、角栄のベストセラー「日本列島改造論」の復刻版を、2023年03月に出版したことも明かしていた。
何度か近くを通ったこともあったが、昔は警察の詰所があり、目立ったが、最近はひっそりしていた。
近くには、旧邸宅が多く、近くの教会で蚤の市があると、大正時代のものがよく見つかった。
古い家は乾燥しているので、火元が線香でも消せないのかもしれない。それは吉田茂の旧邸宅の火災でも感じた。
2009年03月22日---旧吉田茂邸 全焼尊い遺産瞬く間に。公園整備直前「国民的な損失」
田中角栄元首相の旧邸宅の緯度、経度。
35°42'55.0"N 139°43'15.1"E
または、
35.715275, 139.720850
GoogleMapでは、特定いできないように加工してあるようだ。
旧吉田茂邸の緯度、経度。
35°18'10.87"N,139°17'24.32"E
または、
35.303019, 139.290089
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