NASAが放棄した極超音速飛行エンジン設計で、中国人科学者が、試作品を作成。

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香港の英字新聞「SCMP(South China Morning Post/サウス・チャイナ・モーニング・ポスト/南华早报/南華早報)」は2021年12月09日に、中国出身のエンジニアMing Han Tangによるこのコンセプトは、米国政府からはほとんど無視されていたが、中国ではこのデザインがますます注目を集めている。

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中国人研究者の米国での粛清は、中国の極超音速兵器プログラムの開始と同時期であったと、中国の宇宙科学者たちは言う。

中国の研究チームは、約20年前にMing Han Tangが作成した設計に基づいて、極超音速飛行エンジンのプロトタイプを開発し、テストを行った。

https://time-az.com/main/detail/75804

腹部にエンジンを搭載する多くの極超音速機とは異なり、Nasaの極超音速プログラムのチーフエンジニアであったMing Han Tangが1990年代後半に提案したTSV(Two Stage Vehicle/2ステージビークル)Xプレーン(X-plane)「The Boeing Manta X-47C」は、側面にある2つの独立したエンジンで駆動する。
このエンジンは、低速時には通常のタービンジェットエンジンとして機能し、音速の5倍以上に加速すると可動部のない高速モードに切り替わるというものだったと伝えている。

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TSV X-planeのデザインは、「The Boeing Manta X-47C」プログラムで検証されるはずだった。しかし、TSV X-47Cプログラムは、その効率性を検証する前に、コストの高さや技術的な問題から、2000年代初頭にアメリカ政府がプログラムの終了を決定してしまった。

その後、2011年に機密解除されたMing Han Tangの設計図と同様の、2つのサイドオープン・インレットを備えた試作機を、東部の江蘇省にある南京航空航天大学(Nanjing University of Aeronautics and Astronautics in the eastern province of Jiangsu)のタン・ホイジュン教授(Professor Tan Huijun)らが開発・テストした。

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中国の極超音速兵器プログラムへの貢献で政府の最高賞も受賞したタン・ホイジュン教授は、この試作機を、マッハ4からマッハ8までの飛行状態を数秒間シミュレートできる風洞でテストした。Interesting Engineering社によると、このテストでは「最も厳しい飛行条件」でもエンジンの点火が可能であることが示され、Ming Han Tangの主張がさらに証明されたという。

タン教授らは、2021年12月05日に中国の専門誌「Journal of Propulsion Technology」に掲載された論文の中で、「その働きのメカニズムを理解することで、極超音速機やエンジンの開発に重要な指針を与えることができる」と述べており、Ming Han Tangのアイデアは中国で大きな注目を集めた。

国民党軍の将軍の息子であるMing Han Tangは、1939年07月10日に戦時中の中国の首都である重慶で生まれた。中国の内戦が終わるとすぐに、Ming Han Tangの家族は台湾やブラジルに移り住み、1950年代にようやくアメリカに定住した。

NASAでのキャリアは、1960年代にカリフォルニア州のドライデン飛行研究センター(Dryden Flight Research Centre in California)で航空宇宙エンジニアとしてスタートした。その後、ロッキード・マーチン社のU-2やSR-71ブラックバードなどの極秘プログラムで指導的役割を果たした。

Ming Han Tangは、1980年代後半からNASAの極超音速飛行研究プログラムの責任者を務めていた。しかし、1999年、中国出身の科学者に対する政府の不信感を理由に、アメリカの宇宙機関を辞めることを決意した。Ming Han Tangは2018年10月28日に亡くなった。

中国人というが、実際は、毛沢東に中国から追い出されて台湾人の仲間である。

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