見出し画像

ロードス島の巨像は何からできていたのか?

インディアナ大学ブルーミントン校の歴史・古典学科を2022年に卒業したスペンサー・マクダニエル(Spencer McDaniel)は、「ロードス島の巨像(Colossus of Rhodes)は何からできていたのか?」という質問に、ローマの文豪プリニウス(Pliny the Elder/紀元23~79年)や、紀元4世紀後半から5世紀初頭のビザンティオンのギリシャの文豪フィロン(Philon)によると、彼らはロードス島の巨像の遺跡を直接見ていたと思われるため、この巨像はブロンズでできていたようである。現代の研究者の間では、少なくとも巨像の外観がブロンズ製であったことは、ほとんど議論の余地がない。しかし、これが実際にブロンズから鋳造されたことを意味するのか、それともブロンズの板を打ち付けて形成されたことを意味するのかについては、現代の学者たちの間でも論争がある。[1]と書いている。

実は、鋳造している絵も残っているが、かなり時代が過ぎてから描かれたので、定かではない。

https://time-az.com/main/detail/76681

ロードス島の巨像は、紀元前292年から280年にかけて、BC305年にマケドニア国のアンティゴノス1世モノフタルモスの息子デメトリオス1世(Demetrios I Poliorketes of Makedonia, the son of Antigonos I)が行ったロードス島包囲を、長らく失敗しながらも乗り切ったことを記念して建造された。像に使用された青銅の多くは、デメトリオス1世ポリオルケテスの兵士が残した武器から採取されたものであると思われる。

ただし、当時は既に鉄でできた武器を使用していたので、剣や斧などの武器ではなく、銅でできていた盾や鎧。戦車だったのだろう。

初代太陽神であるエジプトのファラオ、ラムセス2世(Egyptian pharaoh, Ramses II/太陽王ラムセス2世/ラムセス大王)と、ヒッタイトの王ハットゥシリス3世(Hattusilis III, King of the Hittites)によって締結された人類史上初の平和条約は、既に紀元前1271年(1258 B.C.?)に締結された。

実は、エジプトの武器は、青銅でできた剣や弓、槍であったが、メソポタミアではすでに鉄の武器ができていたため、戦闘になれば、青銅でできた剣や弓、槍が鉄の武器で切られ、勝負にならなかったことだろう。

しかし、ラムセス大王は負けるわけにわいかず、政治的に平和条約に持ち込んだ。

太陽神は負けてはいけない。死んでもいけない。

エジプトに帰ってきた時は、国境まで新しい衣装を運ばせ、勝者であるが如く、堂々と帰還したと伝えられている。

つまり、BC305年まで剣や斧などの武器が銅でできていたとは、考えられないのである。

コロッサス(The Colossus of Rhodes)は、ロードス島の守護神であり、保護者であった太陽神ヘリオス(the sun god Helios)の彫刻である。ギリシャの彫刻家リンドスのチャレス(Greek sculptor Chares of Lindos)が設計し、建設のほとんどを監督したが、古代の資料によると、チャレスは巨像の完成を待たずに自殺したとされている。

上:16世紀のオランダ人画家マールテン・ファン・ヘームスケルクが描いたロードスの巨像の想像図だが、ロードス島の港をまたいでいるのは誤り。

現代の多くの巨像の絵は、誤ってロードス島の港をまたぐように描かれており、港の両側に片足を置いているが、古代の資料にはこのように立っていたとするものはない。このように立っていたとする最古の資料は中世のもので、実際に巨像を見たことがない作家によって書かれたものである。

さらに、この像は青銅で作られており、当時の技術では、自重で倒れることなく港をまたいで建てることは不可能であっただろう。最後に、ローディア人はこのような方法で像を建てようとは思わなかっただろう。なぜなら、この像は太陽神の像であるはずで、港をまたぐのは非常に厄介で品位のない姿勢だからだ。

ロードス島の巨像がロードス島の港にあったことを示す決定的な証拠は、実は全くないのである。港にあったとする説は、古代の資料もない現代の思い込みに過ぎない。分かっているのは、この巨像がロードス島の目につきやすい公共の場所にあったこと、そして倒壊したときに陸地に落ちたということだけである。

像はロードス島の港の片側か、ロードス島のアクロポリスの頂上か、あるいは他の目立つ場所に立っていたかもしれない。どこに立っていたにせよ、おそらく何らかの台座の上に立っていたのだろう。この台座にはおそらく、この彫刻を太陽神ヘリオスに捧げるという碑文が、ギリシア神話に引用されることで残されている。

ロードス島(Rodos/Ρόδου)の緯度、経度。
36°26'02.6"N 28°13'03.5"E
または、
36.434053, 28.217636

2021-11-28---人類史上初の平和条約はどのようなものだったのか?
2015-04-16---シーザーは、軽度の脳卒中を何度も起こしていた!?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?