イタリアの画家アメデオ・モディリアーニが生まれた。

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ArtDailyは2021年07月12日に、主にフランスのモンパルナス(Quartier du Montparnasse)で活躍し、エコール・ド・パリ(École de Paris/パリ派)の画家の一人に数えられるイタリア人の画家で、彫刻家であったアメデオ・クレメンテ・モディリアニ(Amedeo Clemente Modigliani/アメデオ・ディリアニ/Amedeo Modigliani/1884 - 1920)が、イタリアのトスカーナ地方リボルノ(Livorno, Tuscany)のローマ街33番地で、父親のフラミニオ・ディ・エマヌエレ・モディリアーニ(Flaminio di Emanuele Modigliani/1840 - 1928)と、母親エウジェニア・ガルシン(Eugénie Garsin/1855 - 1927)の子として、2男1女に続く子として、1884年07月12日に生まれたと報告した。
その後に、3人生まれているが名前はわかっていない。

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両親はともにセファルディ・ユダヤ系(Sephardic Jewish)であった。

当時モディリアーニ家は、林業や銀鉱を経営していたが、モディリアーニが生まれた年に倒産している。

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アメデオ・モディリアーニの兄弟には、
兄のジュゼッペ・エマヌエーレ(メネ)ディ・フラミニオ・モディリアーニ(Giuseppe Emanuele (Mene) di Flaminio Modigliani/1872 - 1947)
姉のマルゲリータ(オリンピア)ディ・フラミニオ・モディリアーニ(Margherita (Olimpia) di Flaminio Modigliani/1874 - 1950)
兄のウンベルト・イサッコ・ディ・フラミニオ・モディリアーニ(Umberto Isacco di Flaminio Modigliani/1878 - ?)
(名前が明らかでないModigliani/?ー?)
(名前が明らかでないModigliani/?ー?)のほか、もう1人がいた。

https://time-az.com/main/detail/65052

幼少期に父フラミニオは旅行をすることが多く、モディリアーニの話し相手になっていたのは母方の祖父イサーク・ガルシン(Isaac Garsin/1819 - 1894)であった。

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祖母はレジーナ(レジネッタ)ガルシン(Regina (Reginetta) Garsin/1825 - 1873)

祖父は博学でモディリアーニに芸術や哲学の話を聞かせていた。

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1898年、14歳のとき、風景画家のグリエルモ・ミケーリ(Guglielmo Micheli)のアート・スクールでの指導を受けるようになった。
1899年に、アトリエで最良の友となるオスカル・ギリア(Oscar Ghiglia)に出会ったが、翌1900年、結核に冒された。
1901年に、転地療養のため母とナポリ(Napoli)、カプリ(Capri)、アマルフィ(Amalfi)、ローマ(Rome)、フィレンツゥエ(Firenze)、ヴェネチア(Venezuela)を旅行し、イタリア美術、殊に14世紀シエナ派のティーノ・ディ・カマイーノ(Tino di Camaino)の彫刻に強い感銘を受け、オスカル・ギリアに何度も手紙を書いている。
1902年、フィレンツェに赴き、裸体画教室に学んだ後、翌1903年にはヴェネツィアに移住し、美術学校に入学した。

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アメデオ・モディリアーニは、母の弟であった伯父のアメデ・ガルシン(Amedeo Garsin/1860 - 1905)の援助を受けてパリ行きを計画していたが、1905年に伯父が死去し、モディリアーニのパリ移住は先延ばしになったが、母が資金を与え、翌年の1906年にパリへ向かった。

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1906年01月に、パリへ移住し、アカデミー・コラロッシ(Académie Colarossi)に入学した。 モンマルトルのコランクール街(Rue Caulaincourt)にアトリエを借り、活動を始め、パブロ・ピカソ(Pablo Picasso/1881 - 1973)、ギヨーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire/1880 - 1918)、アンドレ・ドラン(Andre Derain/1880 - 1954)、ディエゴ・リベラ(Diego Rivera/1886 - 1957)らと交流をした。

アメデオ・モディリアーニは、(Jeanne Hébuterne Modigliani/1898 - 1920)と結婚し、ジャンヌ・ディ・アメデオ・ディリアニ(Jeanne di Amedeo Modigliani/1918 - 1984)が生まれている。

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パートナーとして、ジャンヌ・エビテルヌ(Jeanne Hebiterne/? - ?)がいて、ジョバンナ・モディリアーニ(Giovanna Modigliani/1915 - 1994)が生まれている。

別れたパートナーには、ニーナ・ハムネット(Nina Hamnett (ボヘミアの女王/Queen of Bohemia)/1890 - 1956)とシモーヌ・ティロー(Simone Thiroux/1892 - 19212)がいた。ニーナ・ハムネットはロアルド・クリスティアン(Roald Kristian/1893 - 1918)と結婚している。
アメデオ・モディリアーニは、シモーヌ・ティローとの間にドン・ジェラルド/ジェラール・ティルー(Don Gérald/Gérard Thiroux/1917 - 2004)が生まれている。

つまり、アメデオ・モディリアーニは、子供がジャンヌ・ディ・アメデオ・ディリアニ、ジョバンナ・モディリアーニ、ドン・ジェラルド/ジェラール・ティルーの3人がいた。

彼は、顔、首をデフォルメすることで特徴付けられた、近代的なスタイルの肖像画や裸体画で知られている。

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2018年07月12日に公開された作品は、アメデオ・モディリアーニが1918年に描いたもたれる裸体画(セリーヌハワード/Céline Howard)。
ジュネーブの私的なコレクション。

イタリアのトスカーナ地方リボルノ(Livorno, Tuscany)のGoogle Earthポインター情報
43°33'6.75"N,10°18'28.84"E
または、
43.551875, 10.308011‎

2015-11-08---モディリアニの絵画は、中国の元タクシー運転手が落札。
2010-06-14---モディリアニの彫刻が、最高値の4318万ユーロ(約48億円)で落札された。
1920-01-24---イタリアの画家アメデオ・モディリアーニが死去した。

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