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ドイツの画家フィリップ・オットー・ルンゲが生まれた。

ArtDailyは2022年07月23日に、ドイツのロマン主義の画家フィリップ・オットー・ルンゲ(Philipp Otto Runge/1777 - 1810)が、商人であったダニエル・ニコラス・ルンゲ(Daniel Nicolas Runge/1737 - 1825)とマーガレット・ドロテア・ルンゲ(Magdalena Dorothea Runge/1737 - 1818)の子として、ドイツの東北端に位置し、スウェーデン領ポメラニアのボルガスト(Wolgast, Pomerania)で1777年07月21日に生まれたと報告した。

兄弟には、妹のイルサベ・ドロテア・ヘルヴィグ(Ilsabe Dorothea Helwig/1764 - 1810)と、弟のヨハン・ダニエル*・ルンゲ(Johann Daniel* Runge/1767 - 1856)の2人がいるが、一部の資料には11人兄弟の9人目と、紹介している。

この当時は、生まれてすぐ死亡したり、死産も多かったので、Geni.comでは、6人を紹介している。
マリア・エリザベス・ルンゲ(Maria Elisabeth Runge/1763 - 1839)
イルサベ・ドロテア・ヘルヴィヒ(Ilsabe Dorothea Helwig/1764 - 1810)
レジーナ・シャーロット・ルンゲ(Regina Charlotte Runge/1766 - 1784)
ヨハン・ダニエル*・ルンゲ(Johann Daniel* Runge/1767 - 156)
アンア・クリスティーヌ・ルンゲ(Anna Christine Runge/1769 - 1827)
グスタフ・ミュラー・ルンゲ(Gustav Müller (Runge/1781 - 1870)

https://time-az.com/main/detail/60706

フィリップ・オットー・ルンゲは、親の仕事を継いで当初商人になったが、その後、コペンハーゲン(Copenhagen)のアカデミーでしばらく学び、そして、ドイツのドレスデン(Dresden)でさらに学んだ。

そこでルートヴィヒ・ティーク(Ludwig Tieck/1773 - 1853)と知り合い、ロマン主義者の仲間と面識を得て、またドイツの神秘主義者(deutscher Mystiker)で、哲学者(Philosoph)で、宗å教学者(christlicher Theosoph)で、ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel/1770 - 1831)から、ドイツで最初の思想家(ersten deutschen Philosophen)とも呼ばれたヤーコプ・ベーメ(Jakob Böhme/1575 - 1624)の著作に親しんだ。

しかし、ルンゲは、1795〜99年まで兄のダニエルの海運会社(Daniel’s shipping company)でアシスタントとして働いていた間に、途中の1797年にハンブルクで個人のドローイングクラスを受講するまで正式なアートトレーニングを受けていなかった。

ルンゲは、1799年から1801年にかけてコペンハーゲンのデンマーク王立絵画・彫刻・建築アカデミー(Royal Danish Painting, Sculpture, and Architecture Academy/後にアカデミーオブファインアーツ(Academy of Fine Arts in Copenhagen)に出席し、その後2年間ドレスデンのアカデミー(Academy of Art in Dresden/現在はドイツ・アカデミー/Academy of Art in Germany)に出席した。そして彼は1803年にハンブルクに戻った。

ルンゲは、1803年にワイマール(Weimar)に行き、ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)と会って、カラーとアートについて話し合っている。

このとき色彩学は、「Farben-Kuge(カラー・ルンゲ)」として、1810年に出版されている。

1804年に、ドレスデンの商人の娘で、しばしば彼の絵のモデルを勤めたパウリーナ・スザンナ・バセンゲ(Pauline Susanna Bassenge/1785 - 1881)と結婚し、結婚後はハンブルク(Hamburg)に移った。

2人の間には、
息子のオットー・ジギスムンド・ルンゲ(Otto Sigismund Runge/1805 - 1839)
娘のマリア・ドロテア・ベーアマン(Maria Dorothea Behrmann/1807 - 1881)
息子のグスタフ・ルートヴィヒ・ベルンハルト・ルンゲ(Gustav Ludwig Bernhard Runge/1809 - 1883)
息子のフィリップ・オットー・ルンゲ(Philipp Otto Runge/1810 - 1893)がいた。

その時までに、ルンゲは、フリードリヒ・シュレーゲル(Friedrich Schlegel)、ルートヴィヒ・ティーク(Ludwig Tieck)、アーティストのアントングラフ(Anton Graff)、キャスパーデイビッドフリードリッヒ(Caspar David Friedrich)、フリードリヒ・アウグスト・フォン・クリンコストロム(Friedrich August von Klinkowström )など多くのロマンティックな作家、ミュージシャン、芸術家—作家と親しくった。

とくにルンゲは、ルートヴィヒ・ティークの神秘主義と自然に見られる神聖なエネルギーに関するアイデア、そして彼はそのことを念頭に置いて、タイトルの付いた図面のサイクルに取り組み始めた。

1803年のタイムズオブデイ(Times of Day in 1803)、朝(morning)、正午(midday)、夕方(evening)、夜(night)、ならびに四季とライフサイクル(life cycle)としての誕生(birth)、成熟(maturity)、衰退(decline)、死(death)を表す4つの寓話的な作品のシリーズ。このサイクルは1805年に25セットの限定版で発行された。

ゲーテは、ルンゲの偉大な支持者となった。

彼は遅く画家になり、早く死んだもかかわらず、彼は最もよいドイツロマン主義の画家と考えられている。

フィリップ・オットー・ルンゲは33歳で、1810年12月02日にハンブルグで死去した

西ポメラニアのボルガスト(Wolgast, Western Pomerania)の緯度、経度
54°03'00.0"N 13°46'00.0"E
または、
54.05, 13.766667

2011-02-18---ハンブルグ・アートギャラリーは、ルンゲの作品を購入。

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