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イタリアの画家パオロ・ヴェロネーゼが死去。

ArtDailyは2020年04月19日に、1563年のカナの結婚式(The Wedding at Cana)や1573年のレビ家の宴会(The Feast in the House of Levi)など、宗教と神話を大きなフォーマットの歴史絵画として描いたことで知られているベニス派のイタリア・ルネッサンス画家で、出身地のヴェローナ(Verona)からパオロ・ヴェロネーゼ(Paolo Veronese)として知られているパオロ・カリアリ(Paolo Caliari/パオロ・カリアーリ/Paolo Cagliari/1528 - 1588)は、1588年04月19日にベニスで死去した。

パオロ・ヴェロネーゼの父親はガブリエーレ・カリアリ(Gabriele Caliari/? - ?)という石工で、その妻カテリナ・カリアリ(Catherina Caliari)の5人目の息子として生まれたことが分かっている。

また、父方の祖父は(Veronese's Gd.father)がいたことが明らかになっている。

ただし、名前が明らかなのは、弟のベネデット・キャリアーリ(Benedetto Caliari/1538 - 1598)だけである。

また、妻はわかっていないが、2人の子供ガブリエーレ・カリアーリ (Gabriele Caliari/1568 - 1630)とカルロ・カリアリ(Carlo Caliari/1570 - 1596)がいた。

https://time-az.com/main/detail/66230

また、14歳のころまでに義理の父となったヴェローナの画家アントニオ・バディーレ(Antonio Badile/1516 - 1560)のもとへ、おそらくジョヴァンニ・フランチェスコ・カロート(Giovanni Francesco Caroto/1460 - 1555)とともに弟子入りしている。

アントニオ・バディーレが1543年に描いた祭壇画には、当時のヴェロネーゼの手で描かれたと思われる印象的な小路が描かれている。

早熟なヴェロネーゼの才能はバディーレの工房の水準を超えており、1544年には、バディーレから学ぶものはなくなった。

ヴェロネーゼは、当時パルマ(Palma)で主流だったマニエリスム(Mannerism)様式の絵画教育を受けたが、たちまちのうちに輝くような色彩に満ちた独自作風を身につけた。

1548年にマントヴァ(Mantova)に短期滞在し、当地のドゥオーモでフレスコ画を制作している。そして1553年にヴェネツィアに移住し、1553年にはヴェネツィア政府から庁舎の「十人委員会の間(Sala dei Cosiglio dei Dieci)」のフレスコ装飾を公式に依頼された。その後、サン・セバスティアーノ教会(San Sebastiano, Venice)の天井画『エステルの生涯』を描いている。

これらの作品はすでに、コレッジョ(Correggio)の人物像の微妙な省略や、ミケランジェロ(Michelangelo)の人物像の雄々しさを参考にしたヴェロネーゼの卓越した技術を示している。

サン・セバスティアーノ教会の天井画と、ドージェ宮殿(Doge's Palace)のサラ・デイ・トレ・カーピ・デル・コンシーリオ(Sala dei Tre Capi del Consiglio)、1557年のマルキアナ図書館(聖マルコ国立図書館(Biblioteca Marciana)にそれぞれ描いた天井画によって、ヴェロネーゼは当時のヴェネツィア絵画界の巨匠という名声を確立した。

パオロ・ヴェロネーゼは、ティツィアーノ(Titian)より高齢で、10歳年上のティントレット(Tintoretto)の3人が、ヴェネチアで16世紀のルネッサンス、イタリア美術を支配した。

今回公開された写真は、左側には、パオロ・ヴェロネーゼによって、1566年 - 67年に描かれた「聖アガタが聖ピーターの近くの刑務所を訪問した(St. Agatha Visited in Prison by St. Peter)」の絵で、キャンバスの油彩で、65 1/2 × 81 1/2インチ。San Pietro Martire, Muranoに保存されている。
photo: Ufficio Beni Culturali del Patriarcato di Venezia.

右側は、パオロ・ヴェロネーゼによって、1566年 - 67年に描かれた「荒野の聖ジェローム(St. Jerome in the Wilderness)」の絵で、キャンバスの油彩で、91 × 57 1/4 インチ。San Pietro Martire, Muranoに保存されている。

1573年、ヴェロネーゼはサンティ・ジョヴァンニ・パオロ大聖堂(Basilica di Santi Giovanni e Paolo)の食堂の後壁に、現在「レヴィの家の饗宴(the Feast in the House of Levi_」として知られる絵を完成させた。
この絵はもともと「最後の晩餐(a depiction of the Last Supper)」を描いたもので、火事で失われたティツィアーノのキャンバスの代わり(replace a canvas by Titian)に制作された。

高さ5m以上、幅12m以上のこの作品は、ヴェネツィアのもうひとつの祭典を描いたもので、ヴェロネーゼの宴会シーンの集大成ともいえるものであったた。しかし、それは、、最後の晩餐だけでなく、ドイツ兵や滑稽な小人、さまざまな動物など、ヴェロネーゼの物語には欠かせないエキゾチックなものも描かれている。ヴェロネーゼの色使いがより濃く、明るくなるにつれ、物語や人間の感情への配慮、そして人物同士のより繊細で意味のある肉体的な相互作用が明らかになっていった。

この作品が、まさに「最後の晩餐」であることは、異端審問でも明らかで、その10年前、「カナの婚礼(the Wedding at Cana)」を依頼した修道士たちは、絵の中に最大限の数の人物を入れるように画家に要求していたが、その後、ヴェネツィアでは反宗教改革が影響を及ぼし、1573年07月、ヴェロネーゼは、絵の中に余計なものや下品なものが入っていることを説明するために召喚された。

その際、ヴェロネーゼは「私たち画家は詩人や狂人と同じように自由にしている。」と説明し、絵を描き直すのではなく、単純かつ現実的に、今日知られているような聖礼度の低い絵にタイトルを変更した。

photo: Ufficio Beni Culturali del Patriarcato di Venezia.

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