居場所的なこと

どーも。おはよう。こんにちは。こんばんは。ディエゴです。今日は最近思ったことをまとまりなく書いていきます。

最近某配信アプリを入れてみたんですけど面白いね。個人的に配信が面白い!って人ももちろんいるけど、なにより完全なコミュニティツールになってるのが面白いね。なんか中学校くらいに戻ってきた感じで無邪気で楽しい笑笑

ここからは少し固い口調でごめんね。
最後に箇条書きでまとめがあるから本文読むのめんどいって人はそちらだけでもどうぞ!

今回はコミュニティについて話していく。現在(過去)から現在(未来)へのコミュニティの話だ。
みんなに少しでも考えて欲しいからこそ曖昧な言葉で示そう。

まず最初に現在(過去)のコミュニティの話をしていく。人々は所属するコミュニティを区別している。
ファーストプレイス:家族的な部分だね
セカンドプレイス :職場だったり学校
サードプレイス  :自宅、職場から隔離された場所
と大きく分かれている。
ファーストプレイスはもう強制的に決められた場所だよね。セカンドプレイスは半ば強制的なコミュニティ。サードプレイスは自分が自由に決められるコミュニティってことだね。
ここで重要な考え方は一個人としての意見だが、サードプレイスは命の保証ができる最後の砦ってこと。ただ、現在(過去)は繋がりにくさからサードプレイスにたどり着く前に辛く終わってしまう人が多かっただろう。

では、次に現在(未来)のコミュニティについてだ。
現在(過去)は繋がりにくさが存在したが、現在(未来)は違う。その大きな要因となるのがネットの普及である。SNSだったり冒頭で話した配信ツールでさえコミュニティ化している。そのため、過去よりも確実にサードプレイスを見つけ、構築しやすくなっている。以前、家入一真氏がSNSがセーフティネットになるということを言っていたが、私もこの考え方はとても素晴らしいと思う。この考えでは個人的には2つの要素が大事になると考えている。それは、金銭と精神だ。

現在、現実では制度等で金銭面的部分のセーフティネットは確立してきてはいる。ベーシックインカムとかサードプレイス、ネットコミュニティでできるようになるのも時間の問題だろう。ただ、サードプレイスで重要な精神的部分の保証が確立されないのがキーとなり重要な課題となる。精神的な部分の保証が確立されることはないだろうが、それでも救うことはできるし、殺すことだってできる。

この世に居場所がなく、救いを求めてきた人達を最後の追い討ちのように殺すことがあなたのその一言でできるんだよってこと。

なぜ、救いの手を差し伸べられる環境にいながら拒絶を選ぶのかそれは私にはよくわからないが、実際問題、現在のネットコミュニティはこのような事態が蔓延してるし無くなることはないだろう。
では、ネットコミュニティがサードプレイスになることはないのか?それもまた違う。
主観的にもっと単純に生きればいい。(単純に生きればいいってところについてはまた今度書こうかな?)

なかなか脱線しまくったが最後に伝えたかったことまとめまーーーーす!
・以前よりもネットの普及によりサードプレイスが自由になった。
・現在、ネットコミュニティがサードプレイス(セーフティネット)になり得るが精神的部分へのアプローチが酷すぎる。
・コミュニティを求める側も求められる側も自身の再定義を行う必要がある。
ってところかなぁ。

まとめでさえなかなか曖昧になったけど、自分でとにかく考えることをやめないで欲しい。ここまで読んでくれたあなたに感謝です。
あなたの幸せを心より祈って。

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