景色のはなし

このまえ、相方がわざわざ地元に来てくれて、一緒に散策をしました。
好きな人がこちらに旅行に来てくれるのは、すごくうれしいことで、家に帰ったら絶対にレポートにしようと思って、喜んで歩いていました。

鹿などの草食動物は、案外触覚が鈍いので触るときは少し強めに触らなくてはいけないのを思い出したりしながら、過ごしていたのですが、ずっと、視界に誰かがいた気がしました。
気にしないようにしていました、叫び声をあげてしまうわけにもいかなくて、それは明らかに私のフラッシュバックで生まれているだけの、嘘の存在だから。

そこにいたのは、父親でした。

もちろん、本来の父は仕事に出ていて、その場にはいないですし、まさか私のことにそこまで関心があるわけではありません。
でも、父がいたのです、どこにでも。私を、怒った顔で、見る彼が。
だから、アイフォンのカメラを起動して、申し訳ないながらに彼女を映して、そこに誰もいないことを確認していました。これは私の脳の誤作動なんだと、確認したくて。

父は、いわゆる地元ではガキ大将でした。
じゃりン子チエ、ご存知でしょうか?古いアニメになりますが、登場するキャラクターに『テツ』がいますね。ああいった感じを思い浮かべてもらうとわかりやすいと思います。
ですが、かなりの教育熱心なタイプで「俺の娘だから何でもできて当然じゃ!」と言うタイプでした。
そして、彼は昔あこがれていたマドンナと私を次第に重ね合わせていきます。
「お前はあの子が行った学校と同じところにいけ!勉強ができる!間違っても母親みたいなアホにはなるなよ!」
そうして、中学受験に失敗したわたしを「失敗作じゃ」「お前なんか作るんやなかった」「金がもったいない」とののしるようになり、手を挙げるようになる人です。

たまたま、相方と歩いていた場所に、その中学受験に失敗した学校がありました。そして、何度もここに父親が連れてきてくれたことを思い出しました。
私の住んでいる世界がメロドラマならよかったのですが、そういうわけにもいきません。ここは、もっともっと酷な現実です。「いやな場所が幸せな記憶に塗りつぶされてトラウマが克服できた!」なんて言うことが起こるわけがないのです。


でもこれは、場所が悪いわけではなくて、正直どこでも起こることなのです。
本当は泣き叫んでしまいたいし逃げたいのですが、職場でもフラッシュバックは起きて頭から出血している気がして(実体験で過去に経験している)トイレに駆け込んだり、急いでコーヒーを淹れに行ったり、帰りの電車に乗れなくて2時間ほど駅員に不審がられながら電車を見送ったり。
その間、脳の中では毎日父親と母親と前の恋人たち、上司、もう縁のない友達たちが入れ代わり立ち代わり、私を‘その時‘に連れて行ってしまう。

思い出すきっかけがありすぎて、もう両目を取り除いたほうが生きやすいのではないかと思うくらいです。
景色は、何を見ても、私を‘その時‘につれていってしまう。


生きているって、不思議ですね。

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