絶対音感はライフハック〜半生の続き〜

真面目な良い子はは真似しないように。

私の絶対音感はなるべくしてそうなったって話。

母の自慢だった私。
1歳になる前に歩き、英単語の発音がネイティブのように美しかったという。
録画や録音が残っていないので確認のしようがないのだが。

2歳8ヶ月。
まだそりゃあ遊びたい年頃よ。
なのにさ。
情操教育、早期教育、横文字のなんたら教育、そんな本が家にゴロゴロあったのよ。
母は賢い子に育てたい、みたいな思いが人一倍強かったんだろうね。

まずは英会話。
そんな小さい子に英会話教えてくれる教室なんて無いから、尼崎から千里までわざわざ車で通ってた。
後々写真を見ると、ほかの子は幼稚園から小学生ぐらいで、パイプ椅子で床に脚が届いていないのは自分だけだった。
そこで英語の聞き取り&発音はだいたいできていた。

そしてピアノ。
近くに教室があったので通ったり、先生に来てもらったり。別にイヤじゃなかったけど、特に好きだとは思っていなかったピアノ。
めんどくさいのは、とにかく記号とかを五線譜に書いて覚えたりしないといけない。
その頃すでに絵描くのが好きだから、決められたものを書かないといけないことにストレスを感じる。

ピアノを習ってるとだいたいこういうスケジュール。
レッスンで前回習った曲を弾いて先生に指導受ける→また弾く→合否→合格なら新しい曲を先生が弾く→家で練習→次のレッスン
やめるまでは永遠に続くはず。

当たり前のことなんだけど、先生は楽譜どおりに弾くわけ。
ってことは、
「楽譜よまずに先生が弾いたの覚えたら楽譜よまなくてよくね?」
って思っちゃったの。家で練習しなければその時間を他のことに使えるからね。
なので、とにかく先生が弾くお手本を一回でどこまで覚えるかに集中。楽譜がほんとによめないとはまだこの頃は気づいていない。

家で練習ってさ、音大行こうと思ってる人なら何時間もするんだろうね。
ピアノできる親ならつきっきりになったりさ。家に母のピアノあったから習うことになったと思うんだけど母はそんなに弾ける人ではなかったし、音大行こうなんてまったく思ってなかったし、干渉もされなかったから家で練習なんてしなくても全然バレなかったのである。それでピアノは一応12歳までは習っていた。習う意味あるのかな?とは思っていたけど、嫌いでは無いし練習しなくても適度に弾けてたから惰性で。肌露出したドレス着て弾くようなピアニストにはなりたくなかったし、ピアノの先生にもまったく憧れなかったし、ピアノに先が見えなかったわけ。習うのをやめるとまったく弾かなくなるわけでもなく、適当に好きな曲を弾くというのは続けていて、中学生になった時にX(JAPANになる前)を知って、ハードロックの中にバッハの曲が入っていることに衝撃を受ける。バンドスコアを買い、ENDRESS RAINを弾いてみる。この時はちゃんと弾きたいから、楽譜も頑張ってよんでみる。すると!!!!!楽譜とCDがぜんぜん違うの!!!!!え?がんばってよんだのに?
「じゃ、楽譜よまずに聴いたまま弾けばよくね?」
ってことでもう楽譜なんてまったくよまなくなった。
それまでは、一応そんなもんだと思って好きな曲のピアノスコアや楽譜集を買ったりしていたが、楽譜いらないと気付いたらなんでも聴こえるまま適当に弾く。
中学の卒業前イベントのようなものでは即席バンドでENDRESS RAINを弾いたら先生達からの寄せ書きはそのことばかりだった。「ピアノ素敵でした。あなたはやればできるんだからもっと色々挑戦してください」みたいな。
そう、私は全体的にやる気の無い子だったんだ。
ライフハックはピアノだけではなかった。授業聞いてればそこそこ点数取れるから家で勉強しなくていいや派になっていた。
テスト期間なんて最高よ。
お昼で帰れるんだもん。
みんなよく言う「ぜんぜん勉強してなーい」ってやつ。
ほんとにしてなかった。
家で勉強せずにどれだけ点数取れるかに挑戦してた。
そんな感じで私のライフハックはとにかくやらないといけないことがあるときは集中して、他のことをする時間を作ること。小学生時代は本を読む、虫取り、絵を描く等の時間が作れた。
中学生の時はやっぱり絵だったかな。本はそんなに読まなくなっていたような。
反抗期だからね。
ピアノも本も別に...みたいにやさぐれてみたり。それより早く働いて家出たいな、とかね。でも進路は音楽にするのか美術にするのか迫られる。
うるせーな、音楽と絵どっちもやりたいのに、なんで絞らなあかんの、と一般的な教育に反抗したくなっていた。一つに絞ることにリスクと責任を感じていたんだ。そこから逃れたく、もうどっちもええわ、教わらんでも自分でやるから普通科行くわ、と県立の普通科に。この前書いた半生の補足みたいになったな。

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