はじめての街頭演説観覧
今日、人生ではじめて街頭演説を聞きに行った。
これまで演説をする候補者の近くを通りすがることはあったが、わざわざ聞きに行ったことはなかった。推しの候補者のSNSをフォローして、時間が合えば聞きに行ってみたいという興味はあったものの、なぜだかいつも私の都合の悪い時にばかり私の街にやってくるのだ。
しかし今回ついに、推しである同年代女性候補が私でも行こうと思えば行けなくはない時間に我が街にやってくるという情報を当日の朝にキャッチした。夜7時過ぎから駅前で話すという。仕事から帰ってくるのが5時。子どもたちの習いごとが終わるのが6時50分。帰宅後すぐに車で向かえばきっと間に合う。
というわけで、運動系の習い事で疲れている子どもたちを「夕飯は駅前の丸亀製麺で釜玉うどん」という条件で釣り、慌ただしく車に乗り込み現場へ向かった。
到着した時はすでに聴衆が30人くらいは集まっていたと思う。まだ本人が話す前の前座で、候補者の生い立ちや激励の言葉を長々と話していた。たぶん私たちが着いてから5分もしゃべっていなかったとは思うが、子供がいる手前手短に済ませて欲しい。これ見よがしに子どもたちを最前列に立たせ、私はその後ろから見守ることにした。
子供達はすぐにグダグダするかと思いきや、長女は配られたビラを熟読し、次女はとりあえず無になって立ち尽くしている。この状況が続いている間に本人にマイクを渡してほしい。
かくしてようやく候補者の紹介がされ、本人がマイクを握った。一体どれくらいの時間しゃべり続けるのだろう。
と思っていたら、自らの生い立ち、政治を目指した理由、これから何を成し遂げたいか、誰のために働きたいのかを実に明確に簡潔に、10分以内くらいでまとめてくれた。素晴らしい。ありがたい。もともと政策面でも推していたけれど、ますます好感を持った。優秀な人は話が短い。
本人の演説が案外早く終わったので、応援演説も聞いてみようという気になった。政党の幹事長だし、それなりに人気も知名度もある現職国会議員の話がどんなもののなのか聞いてみたかったのだ。しかし子供たちの忍耐力と空腹は着実に限界に近づいている様子。でも、あと少しだけ…。
なんて思った私が甘かった。彼の話は長かった。ひとつひとつの主張には全面的に賛同するしごもっともなのだけれど、いつまで経っても話が終わらない。「もうひとつ」「あとひとつ」「最後にひとつ」と、「ひとつ」を連発しながらどんどん話が続いていく。
さすがにこれ以上子供たちを付き合わせて夕飯を遅らせたら児童虐待にあたるのではないかと心配になり、最前列を陣取っておきながら申し訳ないと思いつつ途中でその場を去ることにした。
うどん屋で子供たちに感想を聞いてみた。
応援演説については「話が長い。だいたい”ひとつ”とかいって全然ひとつじゃない」と、かなり不評。まあそうだよね。
意外だったのは候補者本人の演説について。中学校で不登校になり、紆余曲折の末夜間大学で学び直して弁護士、政治家になったという経歴の持ち主である彼女が訴えた、学ぶ権利が平等に与えられていない現状を是正したいという主張が、小学生の長女には、今当たり前に勉強をしている自分への攻撃のように感じられたのだという。
「なんかこわかった。私がいけないって言われてるみたいで」と話す長女に、そういうことではないんだよと私なりに説明をしながら、ちょっとこういう場に連れてくるのは早すぎたかなと反省した。
ちょっと弾丸すぎて子供達には負担をかけてしまったけれど、たまには演説の現場に出向いてみるのも良いものだ。私は気が小さいので掛け声や合いの手のたぐいは一切できなかったけれど、精一杯拍手することで少しでも候補者への応援の気持ちを届けられたような気がする。家でスマホを眺めていいねをするだけよりも、その場に自分がいるということのほうがずっと満足感というか充実感というか、何か行動をしていることへの気持ちよさもある。
投票日まであと5日、またチャンスがあったら出向いてみたい。
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