見出し画像

誰かを傷つけた日

ある時。
私は親友であったはずの1人の女性を傷つけた。

理由は、存在が受け入れられなくなったから。

ただそれだけだ。
世に言う蛙化現象に近いものだろうか。

傷つけたと言っても暴力ではない。
いや、もっと悪質だろう。言葉の暴力だ。

内心自分でもわかっていた、
自分が彼女を受け入れられなくなっていたこと、
顔を合わせる事も、声を聞く事も、ましてや
会話を交わす事も受け入れることができなくなっていたのだ。

そんな理由だけで、
私は遠回しに彼女に嫌味を言ったり、
彼女には好きな人がいるのにその人に
彼女の悪いところを告げ口してみたり。

最低であった。

こう言ったことが発覚したのは
ある時彼女に『話がしたい』と連絡をもらい
夜、彼女の口から私が彼女にしてきた
最低な行動を話してもらったからだ。

正直、受け入れられなかった。
自分がそんなつもりないことですら悪行と
捉えられてしまっていたこともあった。

でもその話の大概は私が自覚症状のある
悪意の塊で、それでも私はごめんなさい。という
言葉をなかなか言うことができなかった。

しかし、その後私は過呼吸になる程
泣くことになる。

その理由は、無意識のうちに
彼女の母親にまであたりが強くなっていたからだった。

これを聞いた瞬間、申し訳ない。の思いで
いっぱいになった。

彼女の母親は、私が生まれてきた時から
可愛がってくれた人でいつもパート先の
コンビニから廃棄商品を買い取っては
私を始めとした私の家族にくれる。

得意な料理を私に食べさせたいとわざわざ
家に持ってきてくれたこともたくさんある。

なにをしても『可愛い』と褒めて可愛がってくれた人を傷つけたのだ。

私は2人も傷つけた。

生きているうちに2人も。この短期間で。

すぐに過呼吸になった。
申し訳なさと、自分の生きる価値のなさと、
幸せになる資格などないことと、
誰も助けてくれる人などいないということで、
人生の全てがどん底に落ちて仕舞えばいい。
そう思った。
私の人生なんてどうにでもなれ。
人を傷つけたのだからこれくらい当然。

正直、これは今でも思っている。

でも誰も助けにきてやくれないし、
過呼吸になって頭にだんだん酸素が行かなくなって
ほっぺたも酸素が行かずじんじんしてきて。

それでも止まらない過呼吸との
闘いの最中に思い出した。

『過呼吸になるのは受け入れないからだ』
と言う祖母の言葉を。

過呼吸はうまく息が吸えずに起こる。
だから、物事も同じでうまく自分自身の中に
受け入れないから身体も同じ現象を起こすという。

納得した。

彼女と話をしている最中にも
"受け入れられない"そんなことばかり
思っていた。

もちろん彼女の母親のことは、申し訳ないの
思いでいっぱいになったが、
彼女に対して犯した罪を私はいまだに
認めることができていなかったのだ。
理由はわからない。
しかし、誰がどう見ても、私が今考えても
私が悪い。

でも、自分の非を認めたくなかったのだ。
受け入れなかったのだ。

ここにプラスして彼女の母親への悪行の事実が
判明しショックで過呼吸になったのだ。

こうしてテキストをかけている今、
だいぶ落ち着いたと思う。

しかし私はいまだに彼女を受け入れることが
できない。

でも、少しでも早く受け入れられるように
この高慢な私の心を取り除いて
常に低姿勢でいられる人間になりたい。

この彼女との話し合いは、
つい2時間前の出来事であった。