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『コップの水、半分もある?半分しかない⁉︎』の理論から述べる人間の欲


渇きを知らない魚のように、
足るを知らない私は実に哀れだ。

何をされても受け取っても、
まだ足りないまだ足りないと根を上げ、
もっと欲しいと叫ぶうちに自分が苦しくなる。
そこで満足を知ってさえいれば今頃幸せだったで
あろうに。 


よく言えば向上心、悪く言えば強欲。
こればかりは紙一重。
だがこの向上心は決して良い向上心だとは言い難い。


邁進することを考えるあまり休憩を忘れ、パンクする。気づいた時には故障している。
自分が壊れるのが怖くてもがき続けていると
周りを壊している。
その溝は埋まらなくてまた自分に不満が生まれ、
後悔も生まれる。
またそこにトラウマが生まれる。
もう2度と挑戦出来なくなる。
この悪循環。この流れだけは大得意。
皮肉なことに。

満足という言葉は簡単に聞こえるがここまで
人の流れに影響を及ぼしてしまうものなのか。
恐ろしすぎて震える。
これに気づいたのは最近の話だ。

コップ半分に入った水。
半分しか入っていないと捉えるか。
半分も入っていると捉えるか。

ただの二択に思えよう。
いいや、この選択を終えたあとの人生は
雲泥の差があるだろう。

半分しかない。だから少しずつ飲むんだ、と渇きを感じながら質素に飲み進める。
精神的に苦しくなる、その考え方は脳にもそして
身体にも影響を及ぼし体が渇きを覚える。
そのあとは言うまでもなかろう。

半分も入っていると認識すれば、
こんなにたくさん水を飲めると感じる。
小さなことに喜べる人間、常に感謝を感じる人間とはこういうことなのだろう。
心も、身体も満足する。
本当の意味で満たされてるわけではないのかもしれない。しかし考え方一つで満足しきったように感じることができそれがまた本当の満足へと変化していくのである。

このコップの水に対する考え方は、
日常生活でも言えよう。

これをどう捉えていくか、これによって
あなたの、そして私の人生はきっと
より素晴らしいもの、あるいはこれからも
足りないものを催促する人生、
どちらにもなっていけるのである。

さあ、あなたはどちらを選びますか?