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自己愛について考えてみた。

"自己愛"
最近よくこの言葉を聞く。
この言葉の意味は十分に理解できる。
文字通り、自己を愛することだ。

では、具体的に自己愛をしてみてください。
と投げ掛けられると、急に理解に苦しむ。

自己愛。
これはとても難しいことだと思う。
私自身、一生のテーマだと思っている。

自己愛ができて居たらどんな人生を
送れていただろうか。

例えば

たとえ自分の顔が可愛くなくても
自分に自信があって、背筋を伸ばして
歩けていたら

表参道ヒルズで堂々と買い物をしてみたかった

ちょっと背伸びしてでも大人っぽい
サングラスをかけてビーチを歩いてみたかった

お洒落なバーやカフェに1人で行って
少しばかり黄昏てみたかった

1回や2回くらいナンパやスカウトをされて
浮かれてみたかった

など、本望でないことも書きはしたが
沢山やってみたかったこと、
送れたであろう人生の一部が出てきた。

しかしなぜ、私はまだ生きているのに
まだまだチャンスはあるのに
"してみたかった"と過去形にしたのだろうか。

それは自分の可能性を自分で殺していることになる。

人生は一度きりなのに、したいことを
しないままでいいのか。

自分に自信がない、愛せないことを
理由に逃げていいのか。

だって、恥ずかしいから。
私なんて…。

って今この瞬間でさえ私は思った。

しかしきっとこういった考え方こそが
"自己愛できていない"ということの
象徴なのであろう。

自己愛の仕方は人それぞれだし、
私自身やり方など全く知らない。

むしろ私は自分の長所をひとつも上げることが
できない。

我ながらネガティヴで、非常に残念極まりない
人間だと思う。

だからある時高校時代に仲良かった先生や
友達、親戚に私の長所を聞いてみたことがあった。

そうすると照れくさいほど自分では
無意識で、わからなかった自分の良い意味での
癖や行動、習慣が明確になった。

少しばかりは私も人に認められているんだ。
そう思った瞬間でもあった。

私もそうだが、人間は人に認めてもらいたいという
承認欲求がある。
他人からの承認は正直、自己評価にも直結しやすい。
少なくとも私の場合は。

人によりそれぞれだが先ほども書いたように
自己愛の仕方はなんでも良い。
人に認めてもらうことで自分の良さや価値に
初めて気づき、そんな自分を好きになれる人も
いるだろう。

逆に人からは批判されても、私は私が大好きだから
それだけで十分、と思える人もいるだろう。
ちなみに他人の目を気にしてしまう私に取って
この人は本当にすごいなぁと心から
尊敬する。

自己愛ができれば、
自分の人生が開ける。
私はそう信じる。

理由は、満たされているからだ。

人がなにをしようと、なにを言おうと
自分で満足していれば羨ましい、飢えている、
憎い、ずるいという感情はないはずなのだ。

本当の意味で平和が訪れるのだ。

また自己愛ができれば自分のしたかったことに
迷わず挑戦もできる。

当たって砕けても、
きっとその人はなぜだめだったのか自己分析を
始め、もう一度トライするだろう。

私もそんな人生を送ってみたかった。

いや、

私もそんな人生を送って"みたい" !!!!!

私には夢を叶える価値がある。
私は自分を愛する価値がある。

生まれてきたすべての人は
他人からも、そして自身からも
愛される価値があるのです。

少しでも多くの人が
自分を愛せる日がどうか来ますように。