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だいすきなきみへ

 ゆるやかに風がいろづきはじめ、枝先のつぼみやアスファルトの割れ目からかすかにいのちが産声をあげる季節にきみは生まれた。冬には氷点下をゆうに割り込む雪深い土地で生まれたきみは、見るだけでこころがあたたかくなるような、そんなやさしいひとみをしている。

 きみのひとみは宝石だと思う。彗星の尾みたいにするりときれいな円弧をえがくなめらかなひとみはいろんな意思を宿らせる。春の夢のような儚さも、雨に濡れたまま取り残されている哀愁も、籠いっぱいにつめこんだ星空みたいなきらめきも、触れるものみな刺し貫くような鋭さも、万華鏡みたいにくるくると、きみのひとみは映し出す。そのたびにひかるきみのひとみは、どんな恒星のかがやきよりもずっとまぶしい。

 きみの踊りは祈りに似ているように思う。細密画みたいに精巧で、どこで切り取っても姿勢が良くて、生真面目に綴じられた物語を読んでいるような気分になる。スポットライトの喧騒とライブの高揚に身をゆだねて立つきみが、音の宿った空気をゆび先で裂くたびに、視線をひかりの波にすべらせるたびに、舞い散る花びらみたいなかろやかさで髪の毛を揺らすそのたびに、感情が血管に詰まってゆび先が冷えて、なんだかなにも言えなくなってしまう。舞台いっぱいに刻まれたきみの表現や、感情や、どこまでもしずかで敬虔な祈りを目撃しているような気にさせられる。

 きみの歌声をどうやって形容しようか、きみと出会った日からずっと考えているのだけれど答えは出ない。やわらかく地球をつつみこむ奥行きも、陽だまりのなかに溶けていってしまいそうな儚さも、色の濃い木漏れ日みたいな翳りも、近づいては消えていく水平線のような透徹も、夕暮れ時のちょっとすずしい風みたいな静寂も、ただ寄り添うだけではなくてそうっと前を向かせてくれるような力強さも、一歩を踏み出す勇気と希望をやわらかく掬い上げてくれるようなやさしさも、あきらかに羽をなくした天使が地上でアイドルやっているんだと思わざるをえないようなかわいさも、すべてを内包しているきみの声を、すべての質感を纏うきみの声を、どう形容していいんだろう。どんな花にたとえればいいんだろう。どんな詩につづればいいんだろう。

 きみは花束みたいなひとだ。あるいは春の夢みたいなひとだ。冬というしずけさと春という祝祭のそのはざまに生まれたきみは、いつの間にか止めていた呼吸をふっとやわらげるような、そんな雰囲気をいつも纏って佇んでいる。地平線からのぼる太陽が生み出すいちばん最初のひかりとか、雨上がりの庭に咲くくちなしを濡らす朝露のしずくとか、古ぼけたレコードのかかるカフェで食べる焼き立てのトーストの香りとか、雪の降り積もる窓辺のちかくで時折爆ぜる暖炉の火とか、あお空に浮かぶおぼろげなかたちの三日月とか、いちどもインクに浸したことのない万年筆のペン先とか、そういう、このひろい世界に存在するきれいなものすべてでできているようなひとだ。きみを見ていると、不完全な人間がつくりだす、涙が出るほどまぶしくて、心臓が止まるほど切実で、ふと視線を逸らせばかき消えてしまいそうなほどに脆い、なにかとても刹那的なきらめきがいつもいつでも心を打つ。きみが「夢の子」として5年間も在ること、この世界に数多くある奇跡のうちの間違いなくひとつだろうと思う。

 NCT DREAMの音楽は、とびきりのきらめきばかりに満ちている。青春をそのまま音楽にしたみたいな、それは時に攻撃的であったり挑発的であったり抒情的であったりするけれどどれもすべてまぎれもなく、青春のかけらをありったけ詰め込んだ、そういうきらめきでできている。ハローフューチャーは青春だ。わたしはそこにわたしの青春を置いてきた。あそこにはたいせつなものがぜんぶある。

 そのただなかで、はるかに広がる夢のなかに身を浸してわらうきみを、踊るきみを、歌うきみを、わたしはほんとうにうつくしいと思う。星屑のようなスポットライトを全身に浴びて、轟くような歓声と共鳴しながら歌っていてほしいと思う。どこへでもどこまでも行ってほしいと思う。わたしがかかえるありったけの「好き」が、風に乗って海を渡り国をこえて、きみのきらめきを縁取る空気の粒となることを願う。きみがわたしの知らない場所で、しあわせであることを願っている。同じ夢を共にする6人から差し出される、いろんな形の、いろんな言葉の、いろんな温度の愛にかこまれて、ちょっぴり照れくさそうにむず痒そうにしながら、世界でいちばんしあわせそうにわらって、踊って、歌っていてほしい。わたしには知るすべもない場所で。わたしには見えなくていい。わたしには見せなくていい。スポットライトの真ん中でも、カメラレンズの正面でもなく。だれも覗き込めない、だれも踏み込めない、だれも抑圧できない場所で、なんでもいいからものすごくしあわせでいてほしい。たくさん傷ついて、苦しんで、つらくなった呼吸のぶんだけ、やすらかな寝息を立てていてほしい。

 いつまでも夢を見ているきみ。おほしさまのこどもみたいなきみ。たしかにそこにいるはずなのに、目を離せばふっと消えてしまいそうなほどに儚いきみ。なにがあってもどんなに傷ついても必ずいつかは立ち上がって前を向き、背筋を伸ばして地を踏みしめてじぶんの足で歩いていくんだろうきみ。つよくてよわくてかわいくて、でもぜったいにつよいきみ。ファン・ロンジュン、自由で崇高でどこまでもまばゆい、たったひとりの、きみへ。

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