2024/5/31, Fri.

 二時半前に外出。道に出るときょうは左へ。公園では子どもを連れたママさんたちが数人集って立ったまま話をしている。右手、角にある家の戸口前、車の置いてある屋根付きのスペースには、白い半袖Tシャツの比較的若い男が何をするでもなくたたずんでいる。若いといってもこちらと同じくらいか、前後ほどか。きょうが休みなのか、在宅勤務のひとなのか、こちらと同じく胡乱な身分なのか。その角を曲がって住宅に囲まれた細道をまっすぐ進み、車のいない道路を渡って南に向く。視界がややすっきりとひらけて空も拡大する。天気は真白いなかにところどころくすんだ青さや灰色のわだかまっている曇りで、雨が落ちてきたとておかしくなさそうな空気感だが、それでも白さの明度からして、なんとなくまだ大丈夫なんじゃないかと思われた。スワイショウをたくさんやったのでからだはわりあいすっきりしており、足も軽いが、へその左側から上がってくるような不安定さが内部にわずかにないではない。道路を渡って太陽の名を冠したストアへ。入り口前に置いてあるスプレーのペダルを踏んで消毒液を手に塗りつける。入店。(……)退店。小箱二つをリュックサックにしまい、財布はポケットに入れたままで道路を渡り、コンビニの前を通り過ぎて西方面へ。車道に面した表の歩道。街路樹の葉が風に揺れている。なんの木だかはわからない。ものによっては梢だけでなく、下端のほうをべつの草、蔓のあるタイプのそれが取り囲むように茂っていて、そちらもふよふよ揺らいでいる。すこしすばらしい。じきに(……)通りに至るが、ここで曲がらずもう少し行くことに。渡って(……)の踏切りまでのあいだには雑駁な感じの植込みがあって、白いアジサイが咲き出している。ガクアジサイもある。踏切りを越えて前進し、中華屋を過ぎて空き地前に来ると、このあいだまで草が伸び放題に氾濫していたその土地が、端から端まで見事に刈られてすっきりと見通せるようになっていた。間近は白っぽいなかにくすんだ茶色の混ざった枯れ草の集まりが主だけれど、視線を奥に伸ばしていけばまもなく緑が混ざりだして、遠くはむしろそちらのほうが主調となり、低木が一本残されたなか、その近くではかたちも色もわからない、ただ小さな何かがちょっと跳ねたり飛んだりしている動きでしかない鳥の影がいくつかあった。ハトではなくて、ムクドリではないかと思った。土地の縁の真ん中あたりには見上げる高さの真っ白な屋舎が建てられてあり、ヘルメットの老人が立っている入り口をのぞいてみても、薄暗いもののなかは縦にも横にも広い。水道管の増設工事をしています、という、青い縁取りのお馴染みの看板が入り口の脇に立っている。角まで来て渡れば病院前になる。前庭の外縁を行くかたちとなり、歩道との境にいくつか立っている木々や、敷地内の木や植込みが、その奥にそびえる病院の白い建物の前を滑るように、歩みに同じて少しずつ横に推移していき、手前と奥の二層が交錯して常に見え方が変わっていくのに、それだけでちょっと、あー、となるような感じだった。前庭区画の端まで来ると、少し長めの横断歩道が差し挟まる。バスや車の出入り口としてひらいた道路にかかったものだ。渡れば病院本棟のそばとなり、ここから敷地が終わるまで、やたら建物を見上げ眺める格好となった。本棟はここから見ると、二階か三階分ある土台のような下層の上に、もう少し範囲は狭まった上層が何階分か見てもいないが乗って重なるかたちをしており、壁の色はどちらも白で、ただし下層のほうは縦横の線の刻みがこまかく小さな格子をなしているのに、上層部分はもっと広い四角形になっていた。それももしかすると距離の問題、衰えゆく一方の視力の問題だったかもしれない。下層のほうが窓ガラスは縦にやや長い。それが五つ横に並んでいるのが基本単位で、窓の左右や、ところによっては窓枠の上も含めて壁は炭色となっており、その色の帯のなかに窓が埋めこまれているような感じだ。上層階は窓がもう少し小さい上に四つ単位が基本と見えて、炭色があいだに挟まるのは同じだが、こちらでは窓枠を越えた余剰部分が存在せず、帯の幅と窓の幅が端から端までずっと一致していた。病院を過ぎると、(……)の脇まで行って裏に折れようかなと思ったのだけれど、そういえばここの横道通ったことないなと思い直し、病院敷地のすぐ脇にある通路に入った。左右に木々があしらわれている。右側はそう分厚くないが、左は少しだけ段になった上に低めのやつから太幹の堂々としたものまでいくつも並んでいる。低めの細い幹に枝といっても、こちらの背丈よりは優々高い。どれも豊かに茂っている。なかには太幹の周りに細いのが何本も生えて囲いこみ、低い茂りと高い茂りと合わせて鬱蒼と膨張しているものもあった。その向こうは公園で、遊具が見えるがいまは誰もいない。道の右側にはベンチがあり、スーツ姿の細身で若い男がスマートフォンを片手に座っていた。そのあたりで足元に目を向けると、規則的ではあるのだろうがその規則がいまいちつかみきれないような模様の地面となっている。かたちとしては、小さな長方形が横縦横と三つ分、角張って硬直したS字みたいに組み合わさったのが、たぶん共通単位となっていたのだろう。もう少し正確に言うと、カタカナの「エ」や工事の「工」の字がある。これの上下の横棒を、上は右に、下は左にずらして、端で縦棒とつながるように持っていったのがそれだ。三つの長方形の長さはおそらくどれも同じだったのではないか。色は濃いのと薄いのと二種あって、ただしその配置には規則がなかったのかもしれない。そこを越えて裏側に抜け、右折して東方面に戻る。外を歩けばどこにいてもものがある。常に何らかの形と色があるということだ。ものをものとしてというより、形と色に分解して認識しがちな意識にとっては、路上は実におびただしいことになる。空き地の反対側までやってきた。右手の空を背景に、背の高い木の広葉が枝もまとめて振れながらひらひら踊っていて、白さのなかにくっきり色づく緑のその群れは連なりが濃いとほとんど蛸みたいに、軟体動物めいたうねり方に見える。刈られて短い草の上で遊んでいた鳥はハトだった。踏切り手前、一方通行の細い道路を渡るところで来た車があって、減速して止まるのを確認してから右手をちょっと上げて会釈しつつ通り過ぎ、そうすると踏切りが鳴っている。前の女性が立ち止まる。その後ろに立ち止まる。眺める。茶髪。ちょうど襟がぴったり隠れるくらいの長さ。上は真っ黒と言うに一歩手前くらいの黒さのジャケット、下はそれより薄青さをほのかにはらんだような黒の、膝裏を越えたあたりまでまっすぐすっと落ちているスカートで、なんの模様ともわからないがレース編みのような図柄があしらわれていた。葬儀の印象。靴も真っ黒いパンプス。右肩にはこれも黒だがジャケットよりも幾分あかるくなめらかな色味のバッグをかけていて、底の両側に二本、金色の金具が取りつけられている。左手にはビニール袋。このまま法事に行けそうな格好だなと思った。電車が過ぎて踏切りを越えると左折し、(……)駅前で右にひらいた細道に入る。行きながら、ああやって女性を後ろからじろじろ眺めるのもいい趣味とは言えないな、気づかれないようにひそかに眺めるだけならまだしも、それをいちいち書きつけて不特定少数の目にさらそうというのだから、これもあんまりいい趣味ではないなと心中思った。そうしていると前から来るのはスーパー店員の(……)氏である。たぶん向こうもこちらを認知していると思うが、会釈をするほどの間柄でもない。赤紫っぽい色のシャツに、蛍光マーカーみたいな黄緑色のリュックサックを背負って、なかなか奇抜な配色だった。本人はいつも腰の低そうな、白髪まじりのおじさんである。出口まで来ると角を回ってそのままスーパーへ。なにというほどのこともないので店内は割愛。買い物をして出ると横断歩道のボタンを押す。なかなか青にならないが来るものがないので左右を見ながらのろのろ渡りだしてしまう。その間に青になった。向かいの歩道に着くと左へ。店店の並びの前を過ぎていき、十字の角で美容室のなかを覗きながら右に折れ、ここは(……)通りだ。歩道はない。車が来ると、右手に持ったビニール袋をからだの前に寄せながら電柱の裏の隙間を通ったりする。通りの終わりの角の土地は先般から建設中で、掘られた穴に銀色の棒が立体格子状に配されてケージみたいになっていたところだが、そこにもう白っぽい木の柱で二階かことによると三階建てくらいの家の骨組みができており、頭上で人足たちが三六五日どうとかいって談笑しており、木組みのなかにも同じ色の木材が無数に揃えて積まれているのが目にされた。