あるくこと(2024/5/16, Thu.)

 二時にスーパー行き。薬は一粒しか飲んでいない。アパートを出れば即座に暑い。通りすがりの若い男は半袖を着ている。路地を抜けて渡りながら、こちらもブルゾンの袖をまくって茶を濁す。からっと乾いたアスファルトのなかそこらじゅう、きらめきの粒が散らばっている。横断歩道の白線はあらためて見れば擦過痕で黒ずんでいたり、半端に剝がれて欠けたりしている。豆腐屋の脇から入る細道を取った。左右の家々に植えられた木の緑葉が、葉の先端や曲がりの上にひかりを溜めてみずみずしい。風にふれられ、かがやきと陰と緑の色がこまかく混ざり合う。新緑にせよ花にせよ車のボディにせよ、空き地を覆ったビリジアンのシートにせよ、べつの空き地の土にせよ、あらわれる色がどれもこれもあかるくあざやかの一言で、ちょっと夢想の味が出てくる。(……)通りに入って左折すれば歩道に乗る。くすんだ赤茶のタイルのなかにもきらめきの粒が無数に住まう。頭に乗り頬についてくる熱は夏のそれに近い。ソウルフルスーパー(……)に着く。入れば最初、晴れの昼間に似つかわしい爽やかなやつがながれているが、意外とドラムがこまかく騒いでいたりする。つぎに意識した時には、男性の声がwho will buy who will buyとやたら繰り返していて、これ”Who Will Buy”だなとおもった。聞いたことのある同曲は、Aaron Nevilleのものだけだ。おぼろげなその記憶とは、だいぶ毛色が違っていた。ティッシュとかラップとか小松菜とか、ものを集めて金を払い、退店するころには、女性ボーカルがdon’t stopなんとかかんとかと歌うメロウ風味の爽やかなやつにうつっていた。六〇年代から七〇年代の、古き良きほがらかなソウルの感触。店を去る。横断歩道で少し待つ。縞状につらなる白い帯のいちばん手前の右側から電柱の影が斜めに渡って、先端は対岸の道に踏みこんでいる。こちら側の間近いところに、対角線から生えた分枝がなにかかたまりをぶらさげた絵で映っている。頭上の歩行者用信号の影だった。本体よりもだいぶ小さい。渡って裏に入れば、巨大なミミズの這い進んでいったかのような電線の影が数本へろへろとまっすぐ伸びて、濃淡の別があり、行くあいだにもわずかに揺れて線の中身が薄らいだりする。すばらしい。右側の家から出ている陰は短く、三角形が密に詰まって濃くくっきりと截られている。ちょっとおぼつかないような足取りの、傘を差した小学生がいた。男子。その後ろを行っていると、ああーあー、という声とともに傘がかたむき、それを追って振り向いた顔がのぞいて、セーフ、セーフ、と気抜けたようなつぶやきがもれた。ちょっと笑いながら横にずれて追い抜かす。風は変わらず空は清澄、蒸気風の淡く刷かれた雲の上、半端に割れた卵の殻かかまぼこめいた小片があり、白さは雲と違わないけれど、あれは月だなたぶんとながめた。路地を抜けて渡り、さらに路地を抜けて公園前で左に折れる。あたりの木々がことごとくざわめいて、車が背後から来たかと錯覚し、振り向いてしまうくらいの葉鳴りが続く。チャリが横をすばやく通る。茶髪をうしろで結った、ややラフな格好。前傾した背と腰が少しがっしりしている。もう一台、薄ピンク色の半袖を着た婦人がもっとゆるい速度で続く。それぞれに背を明るませたり戻したり、日なたと日陰を越えていく。ひかりがふれれば背中の皺が多くなる。