ザキング 永遠の君主 41.「美しい公式」
ロサンゼルスにいたセジンが交通事故で死亡した。
均衡を取り戻そうとするゴンにイ・リムが送った地獄だった。
ゴンはまたしてもあの謀反の夜のように首が締め付けられる苦痛に襲われた。
そして息笛を狙ったソリョンのもとにも…地獄の火の手が上がっていた。
ー 事故を起こした加害者はホギョン製薬創業者の孫娘であるパク・ジヨン氏で、パク氏は現在「臨月」とあり衝撃が走っています。
ニュースを見ていたソリョンはあまりの衝撃にタブレットPCを落とした。
カルグクス店で最後に会ったジヨンの姿が思い浮かんだ。
「 ジヨンを……こんな風に利用したの…!? 」
イ・リムの策略で大韓民国のジヨンと入れ替わった大韓帝国のジヨンは、再び大韓帝国に戻るためなら何でもするとリムに約束した。
こうしてジヨンは、皇位継承序列第2位のセジンを殺す道具に使われた。
ソリョンにも2つの世界を見せたリムだったが、使い道のなくなったソリョンをそのまま放っておくわけがなかった。
ソリョンはガタガタと震える手で急いで携帯を掴んだ。
ソリョン自身が無事なら…ソリョンを追い詰める方法は1つだけだ。
呼出音は今日に限って長かった。
落ち着きを失ったソリョンは爪を噛みながら部屋中を歩き回った。
プツッ…
相手が電話に出る音が聞こえるや否や、ソリョンは息もつかずに母を呼んだ。
「 母さん!?……母さん…母さん今日の晩ご飯は…何を食べたの…? 」
「 …晩ご飯?あんたまだ食べてないの? そんなに忙しいの? 」
「 母さんッ!いいから早く答えて…晩ご飯は何を食べたの…!? 」
「 母さんは出前のジャージャー麺を食べたわよ。どうしたの、何か食べたいものでもあるの? 」
「 っあぁ……!」
叫び声を上げたソリョンの手から携帯が転がり落ちた。
恐れていた事が現実となっていた。
ー『 それと母さん…私がこれから” 夜ご飯は何を食べたの? “と聞いたら絶対に” サバを食べた “と答えて。…分かった? 』ー
電話の向こうにいたのは大韓帝国で鮮魚店を営んでいたソリョンの母親ではなかった。
ク・ウナの母親だった。
欲望に目をくらませ、イ・リムの手を取り別世界の自分自身を殺した罰だった。
半狂乱になったソリョンは喉が張り裂けそうなほどの悲鳴を上げながら座り込んだ。
そこは地獄だった。
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ルナを閉じ込めておいた地下室はもぬけの殻になっていた。
ぽつんと残された椅子を見て、シンジェは慌てて振り返った。
テウルはルナにかけていた手錠を持ったままシンジェを見つめていた。
「 どうなってる…ドアが破られた形跡もないのにどうやって逃げたんだ!? 」
「 私が外してあげたの…さっき。」
驚愕した目でシンジェはテウルを見つめた。
まさかルナに何かを託す日が来るとは思わなかったが、テウルはルナに2つの頼み事をした。
1つは警察署から”あるもの”を盗んでくること。
そしてもう1つは、大韓民国のチョン・テウルとして…父さんのいい娘として…生きることだった。
自分は長い間、いや…もしかすると永遠に帰って来ないかも知れない。
テウルは自分の代わりにルナを残して行くことに決めた。
混乱しているシンジェに、テウルは手を差し出した。
「 息笛…兄貴が持ってるんでしょ?それを私にちょうだい。 」
テウルの意図に気づいたシンジェは不安になった。
「 …ない。何のことだ。」
「 イ・リムは私が連れて行く。不思議だったの…なんで兄貴がイ・リムを連れてきたのか。大韓民国の法律じゃどのみち罰することもできないのに…。48時間だけ安全な場所に拘留する必要があったから…約束したんでしょ?48時間後にイ・リムを連れて竹林で会おうって。 」
「 …… 」
「 息笛を渡して。私…行かなきゃ… 」
テウルの推理は正確だった。
シンジェの不安も的中した。
一歩、シンジェは後ずさった。
「 …ダメだ。どこに行くって?…行ったら戻れないかもしれないのに…なんでお前が行くんだよ!! 」
「 1人でここに残って耐える自信がないの。私にはできない…させないで。お願いだから…それを私にちょうだい。 」
黒く澄んだその瞳に不安はなかった。
ただひたすら、ゴンに向かう確信だけがあった。
シンジェはカッとなり叫んだ。
「 分からないか…?俺がお前を行かせたくないって言ってんだよッ!! 」
シンジェにとってテウルはあまりにも大事な存在だった。
長い髪をなびかせながら桜の下に座っていた高校生のテウルを初めて見たその瞬間から…
白い道着を着たテウルと目が合ったその瞬間から…
テウルは荒れ果てたシンジェの人生に舞い降りてきた春だった。
シンジェの人生で唯一の、心安らぐ愛しい存在だった。
カン・ヒョンミンであろうとカン・シンジェであろうと関係なく、ただ”兄貴“と呼んで記憶してくれるたった1つの存在だった。
それなのにそのテウルが…
自分を置いて、振り返りもせず去ると言う。
永遠の虚無が…死が…待つかもしれないそこへ。
「 死ぬまで黙って生きてくつもりだったのに……結局言わせるんだな。…………………お前が好きだチョン・テウル。ずっと…お前1人だけが好きだった… 」
胸が張り裂けそうな思いでシンジェは告白した。
長い間秘めてきた想いだった。
「 1秒前まで…今この瞬間も!俺はお前が好きなんだ。そんな俺に…お前をどうやって行かせろってんだ…!お前が死にに行くのを黙って見送れるわけないだろ!!バカなこと言ってないで家に帰れ… 」
目を真っ赤にしたシンジェは逃げるように背を向けた。
テウルはシンジェの手首を掴んだ。
シンジェはその手を振り払おうとしたが、テウルはまるで命綱でも掴んだかのようにシンジェの手を強く握って離さなかった。
それまで淡々としていたテウルは泣いていた。
「 お願い……私にちょうだい。兄貴の気持ちに気づかなかったこと…ごめんとは言わない。今さら胸が痛いだなんて…そんなの偽善だから。………だけど、兄貴が私を好きなように…私も誰かを好きなの…… 」
すすり泣くテウルの声が大きくなった。
小さな肩は小刻みに震えていた。
「 兄貴を苦しませた代償は全部払うから…必ず戻ってくるから……だからお願い…私を助けて。このままじゃ私…死んでしまいそうなの… 」
離そうとして掴んでいたテウルの手を、シンジェは強く握りしめた。
その上に、シンジェの涙がこぼれ落ちた。
薄暗い地下室には2人の泣き声だけが悲しく響いていた。
シンジェの長年の悪夢も…
きれいな夢も…
すべてが暮れて…沈んでいった。
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「 シンジェ…ああ…シンジェ!! 」
ファヨンの泣き叫ぶ声が病室に響き渡った。
シンジェは相変わらず意識を失ったまま静かに眠り続ける”カン・シンジェ”を見つめた。
父親が何を隠したのか…本当のカン・シンジェはどこにいるのか…ついにファヨンへすべてを打ち明けたシンジェは、母親を本当の息子に対面させた。
「 そんな…私の息子がどうしてこんな……ああシンジェ…ごめん……母さんは何も知らずに……!シンジェ…!! 」
意識のないカン・シンジェを抱きしめて嗚咽していたファヨンは、シンジェに突進すると胸を叩いて叫んだ。
「 あなた…いつから知っていたの…!?息子がこんな状態だったこと…いつからシンジェのことを隠してたの!?私の大事な息子をどうしてくれるの!!こんなのあんまりよ…私のシンジェ…!!」
“あなたは母さんにとって奇跡の子よ”
そう言って優しい目で微笑んでいたシンジェの母親はそこにはいなかった。
シンジェは首を締めつけるように掴みかかってくるファヨンの手を…今にも気絶しそうなほど激しく自分を責め立てるファヨンの怒りを…黙ってそのまま受けとめた。
ファヨンの手は鋭かったが、痛くはなかった。
こうすることでファヨンの苦痛が少しでも紛れるならそれでいいと思った。
自分にとっての母親はファヨンだったから…
しばらくして病院を出たシンジェは、ふらつく足であてもなく通りを歩いた。
最後にすべきことを終え、もうどこへ行けばいいのか分からなかった。
ここにはもう…テウルもいない。
大粒の涙が頬の上を流れ落ちていった。
「 シンジェ! 」
自分を呼び止める声に驚き振り返ると、目を腫らしたファヨンがシンジェに向かって走ってきていた。
気力を失った体で時折つまずいて転びそうになりながらも、ファヨンは止まらなかった。
そしてついにファヨンはシンジェに追いついた。
「 母さ…
シンジェはファヨンを母さんと呼ぶことをためらった。
すると突然、ぼやけた視界の中のファヨンがシンジェを抱きしめた。
「 ごめんね…抱きしめてあげればよかった。あなたも私の息子なのに… 」
「 …… 」
「 あなたのせいじゃないのに責めるなんて…まず抱きしめてあげるべきだったのに…本当にごめんなさい…許して… 」
「 ……母…さん…… 」
その時になってようやくファヨンを”母さん”と呼べたシンジェは、両手で母を抱きしめた。
やっと…やっと本当のファヨンの息子になれた気がした。
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セジンの死がゴンにもたらしたのは、”すべてを正す”というさらに強固な意志だった。
ゴンは無残にひび割れた息笛を懐に入れた。
神は分かっていたのだ。
ゴンが自分を救わずにイ・リムを捕らえる道を選ぶことを…
その為にあらかじめゴンの肩に印をつけておいたのだ。
その運命について行けと…
実に利己的な神だった。
ゴンはゆっくりと目を閉じ、そして再び瞼を持ち上げた。
この方法しかないと知りながらも、とうとう最後まで避けられなかった運命を恨んだ。
目頭に涙が込み上げた。
それでも…ゴンは背筋を伸ばして自分を奮い立たせた。
堅固にならなければいけなかった。
服の袖まで整え、一歩下がったギュボンが感嘆のため息をついた。
濃紺の生地に金糸の刺繍が施された礼服は、長身で目鼻立ちの整ったゴンにとてもよく似合っていた。
「 この服をお召しになるということは…どこかいい所へ行かれるのですね、陛下。 」
この服を着て…テウルに花束を渡しに行ったことがあった。
極めて重要な決断をしたとある日だった。
ゴンは静かに微笑むと、傍らの四寅剣を手に取った。
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甕(かめ)置き場の片隅で、ノ尚宮はいつものように浄水を供えて大韓帝国とゴンの安寧を祈っていた。
「 陛下…! 」
四寅剣を携え現れた礼服姿のゴンを見て、ノ尚宮は慌てて立ち上がった。
「…これ以上、そなたが気を揉まぬよう私から話そうと思う。」
「 何をですか…? 」
「 さぞ……1人で心細かったろう。私の秘密と、そなたの秘密を胸にしまい込んで… 」
ノ尚宮は驚いてゴンを見上げた。
ゴンは淡々と言葉を続けた。
「 あの詩集は…そなたへの贈り物だった。 そなたが私に歌ってくれた『 母さん、姉さん 』の子守唄が…あの本の中にあった。 」
ノ尚宮が詠み聞かせてくれた詩が…テウルに教わった詩が…キム・ソウォルの詩集に収められていた。
美しい詩を思い返すゴンの微笑みは、まるで美しい一編の詩のようにノ尚宮の瞳に映った。
下を向いたノ尚宮が重い口を開いた。
「 もしやお気づきなのではと…ハラハラしておりました。…なぜ私を問い詰めなかったのですか? 」
「 そなたが…もといた世界へ行ってしまいそうで。 」
「 陛下…! 」
「 だが、おかげで美しい詩に出会えた。……そしてそなたに頼みがある。もう一度だけ……私を見逃してくれ。」
最後になるかもしれない挨拶だった。
イ・リムが破った均衡の中で、あまりに多くの大切な人々を失った。
失わなかった人々の中で最も長くゴンのそばを守ってくれたのがノ尚宮だった。
そんな彼女にこんな頼みごとをする日がくるなんて…
老いたノ尚宮のそばを、今は自分が守ってやりたかったのに…
「 見逃したら……また戻ってきて下さいますか? 」
大粒の涙を流したノ尚宮が震える声で尋ねた。
ゴンは最も忠実な臣下の前で、信頼できる皇帝になろうと涙をこらえた。
「 そなたは、いつまでも息災でいてくれ……私の最後の命令だ。」
ノ尚宮に最後の挨拶をしたゴンは礼服の裾を翻し、マキシムスの背に跨がると竹林への道をひた走った。
真っ暗な竹林に到着すると、馬に乗ったヨンがゴンを待ち伏せていた。
「 今度はまたどちらへ? 」
「 ヨン…… 」
「 夢にも思わないでください。 どこへ行くにもお1人では行けません…お供いたします。そこがどこであれ、どんな戦場であれ……戻れぬ道ならなおのこと。 」
幼かったあの日…
一緒に涙を流し喧嘩したヨンは、今では誰よりも立派な近衛隊長となっていた。
ゴンにとってヨン以外の近衛隊長などあり得ないように、ヨンにとってもゴン以外の皇帝などこの世には存在しないだろう。
互いがどんな覚悟でこの場に立っているのか知っているからこそ、2人は互いを止めることができなかった。
こんな日が来るのなら、ヨンに「私の天下随一の剣になれ」などと言わなければよかったと…ゴンは一度もしたことのない後悔をした。
だが後悔は一瞬だった。
たとえゴンが命じなかったとしても、ヨンは自らゴンの天下随一の剣になってくれただろう。
寂しい宮殿の中、ヨンはゴンの唯一の友であり兄弟だった。
切り離すことのできない己の一部だった。
竹林の奥から笛の泣く音が聞こえ始めた。
今、イ・リムも幢竿支柱の前に立っていることだろう。
巨大な幢竿支柱に向き合ったゴンとヨンは、互いの目を見て視線を交わした。
生き残れることを願い、ゴンはマキシムスの手綱を引いた。
次元の扉のその中に…ゴンとヨンは飛び込んだ。
謀反の夜を目指して。
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星一つ見えない暗闇に覆われた空の下。
白い雪がちらついていた。
冷たい雪が静かに積もるその時間に、ヨンとゴンは到着した。
逆賊を逃すために裏門を守っていたイ・スンホンの首を、ヨンは後ろから容赦なく折った。
ゴンはスンホンが持っていた銃を拾い上げ、すぐに回廊の柱に身を隠した。
ヨンは自分の銃を装填しながらゴンを見上げた。
「 ご命令下さい。先陣を切ります。」
「 逆賊は約20分後にこの裏門に到着する。 ヨン、お前はここでイ・リムの退路を断て。見つけ次第…全員射殺しろ。」
「 ……天尊庫には陛下お一人で進入するとおっしゃるのですか? 」
「 もし私が天尊庫で失敗したら…ヨン、お前が必ず逆賊イ・リムを射殺するんだ。」
黙々とゴンに従おうとしていたヨンの顔が強張った。
ゴンの計画は、まるでゴン1人だけを犠牲にするようなものだった。
「 陛下、何をお考えなのですか。……陛下、まさか…ダメです!絶対に従えません…!! 」
「 私の最後の命令だ。 」
「 ……申し訳ありません、陛下。私も天尊庫に行きます。私は主君を守らなければなりません……それが私の務めです。」
過去のゴンが死ねば現在のゴンは消える。
どの瞬間のゴンも、ヨンが守るべき主君だった。
ヨンは断固としていた。
「 ダメだ…ヨン……これが最後の機会なんだ。」
「 私も同じです。これは陛下をお守りできる…私の最後の機会でもあります。」
ヨンは涙をこらえた。
皇帝を守るためなら近衛隊長の犠牲は当然だった。
皇帝の安全だけが近衛隊長の考慮事項だった。
それが、初めて会った瞬間にゴンを守ろうと決心したヨンの人生だった。
その決心を守ることが出来るなら、これ以上嬉しい事はなかった。
ヨンは涙をのんで一礼し、最後になるかもしれない挨拶をした。
「 どうかご無事で…陛下。 」
ゴンに捕まらないよう素早く駆け出したヨンは、天尊庫へ続く回廊を抜けてあっという間に暗がりへ消えていった。
遠ざかっていくヨンの足音がゴンの胸に響いた。
「 ヨン…… 」
大声でヨンを呼び止めることもできず、ゴンは落胆した。
何もかもすべてがあの夜と同じように進むことを望んだ。
しかし、流れは変わった。
変わっていた。
一体どこから変わったのだろうか…
世の中の全員が勇敢になれないなら、自分が勇敢になると言っていたテウル…
身を投げ打ち、ゴンの代わりとなって銃に撃たれたウンソプ…
迷いなくイ・リムを連れて行くと言ったシンジェ…
武運を祈ってくれたノ尚宮…
彼らの顔がゴンの頭の中を駆け巡った。
ゴンは悟った。
美しい式ほど簡素だと。
変わったのは…
あの日と違ったのは…
今夜、自分が一人ではないという事実だった。
「 私たちはまだ、誰も到着していない… 」
四寅剣を門に立て掛けたゴンは、ヨンの後を追って走り出した。
天尊庫へ向かって…
ザキング 永遠の君主
42.「美しい公式」