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ザキング 永遠の君主 36.「再び、あの夜へ」

笛の音を聞いて走り出したのはゴンだけではなかった。
イ・リムにも空虚な笛の音が聞こえた。
自分の竹林に向かって走りながら、イ・リムは初めて笛の音を聞いた日を思い出した。

あの日、幼いゴンを助けに来た黒ずくめの男。
イ・リムは今になってようやく気付いた。
その男が現在のゴンに似ているということを…

幼いゴンを助けたのは、未来のゴンだった。

どうやって…どうやって未来からあの場にたどり着けたのか。
リムは厳しい形相で幢竿支柱へと向かった。
ゴンは真っ直ぐそびえた幢竿支柱に、リムはいびつで奇怪な形の幢竿支柱に、それぞれ飛び込んだ。

同時に門の中へ入った二人は笛の音に沿って走り続けた。
しかし、同じ場所を目指し走っているはずの二人が出会うことはなかった。
果てしない道を駆け走るゴンの扉の中で、テウルが撒いておいた花の種が芽吹き始めたのはその時だった。

光も、風も、空気もない無の世界に…時間が流れ始めたのだ。






「 知ってる…?次元の扉の中で息笛が一つになると、その扉の中に時間と空間の軸が同時に生じるんだ。 」



深く入り組んだ路地の片隅で、 少年はジョンヘに昔話を語り聞かせていた。
テウルを救った、あの少年だった。

手首に包帯を巻いたジョンヘは、少年の話に耳を傾けた。
もう何度目か分からない自殺は今回も未遂に終わり、茫然自失となったジョンへは家の前の路地でタバコを吸おうとしていた所だった。
ジョンへの夫と息子を殺したイ・リムは、ジョンへが死ぬことだけは決して許さず、彼女が死を求めるたびに生かし続けた。
夫のように、息子のように、むしろ死んでしまいたかった。
それなのに、お前は甥をおびき寄せる為のエサだと…
その甥が、息子と同じ顔をしていると…?

ジョンヘは薬のせいで朦朧としながらも、憂いは後回しにして少年の話に集中した。



「 はじめて共鳴した息笛は、もとに戻ろうとして割れる直前へ移動する。 」

「 それでその二人は……どこへ行ったの? 」

「 皇帝も逆賊も、同じ場所へ向かった…謀反の夜に。 」

「 ……なぜ? 」

「 皇帝は、逆賊から二つの世界を守るために。逆賊は、謀反に失敗する愚かな自分を救うために…。 」



笛の音を追って走り、イ・リムが到着したのは1994年の大韓帝国だった。
それは弟を斬って謀反を起こす1時間前…

70歳のイ・リムは黒い長傘を片手に、見慣れた後ろ姿に近づいていった。
謀反の時を待つ、44歳のイ・リムだった。
目の前に現れたもう一人の自分に、44歳のリムは驚愕した。


「 何者だ…お前は誰だ!? 」

「 お前は毎晩ここで謀反を夢見てきた。無能な父の下で…嫡子という理由だけで皇帝になった愚かな弟の下で…。私はお前を助けに来たのだ。…正確には、愚かな自分自身を助けに。 」

「 なぜ私と同じ顔をしている…! 」

「 まだ分からぬか…?私はお前だ。2020年から来た、お前… 」

「 …2020年から来た?2020年なら私は70歳になっているはずだが…お前の顔は何一つ変わっていないではないか。」

「 その答えならお前はすでに知っているはずだ。思い返せばそうだ…それが謀反の真の目的だったのだから。」




「 ………そういうことか。萬波息笛の秘密は真実だった。別世界が存在するという話も…! 」

「 やっと信じたようだな。 では私が近道を教えよう。今向かうべき所は天尊庫ではなく太子の寝殿だ。太子から殺せ…!過去で死ねば未来からも消える。今夜、この謀反を阻止するのは太子だ…!」


70歳のリムが44歳のリムに言った。
しかし過去のリムの目は未来のリムが持つ長傘へ向かった。


「 今、子守唄を聞いて眠っているあの8歳のガキが…? 」

「 私もそう思っていた。その結果、息笛の半分しか奪えなかったのだ…つべこべ言わずに言うとおりにしろ!太子を殺して完全な息笛を持って来い…私が持っている物が、即ちお前が持つ物になるのだから…!! 」


44歳のリムの表情が妙で、70歳のリムは苛立った。


「 二つの世界があることを自分の目で確認し、その中に不滅があることは今、お前がその目で確認した。私がその証明ではないか…!だからまず太子から消すのだ。完全な息笛で一体どれだけ多くの世界の扉が開けるか…まだ分からないのか!? 」


「 …つまり、お前は謀反に失敗したということか。年を取っても愚かなままだな、お前は。いや、私は…… 」


半分の息笛を手にする自分自身が愚かで情けなかった。


「 お前が私なら……剣はここだろう… 」


44歳のリムは長傘を奪うと、勢い良くその中の剣を抜いた。
そして躊躇なく、70歳のリムの喉を真一文字に切り裂いた。
70歳のリムは抵抗する間もなく、噴き出した血とともに倒れた。


「 謀反を起こすのは私だ…!完全な息笛も私がもらう…貴様ではなく!! 」


過去にいても現在にいても、世界で唯一無二の神になろうという欲望に支配されていたのがイ・リムだった。
傘を激しく振るや、柄に隠された息笛が血溜まりの上に落ちた。
血濡れた息笛を拾い上げた44歳のリムの目は、毒蛇のように輝いていた。
しかしその瞬間、70歳のリムの血は溶岩のように燃え上がり、息笛は瞬く間に消滅した。

すべての時間、全宇宙で起こっている出来事を眺める少年の瞳が、黒く輝いた。



「 逆賊は自分を救うことが出来なかった。その代わり、今の自分を作った… 」


少年の話に夢中になっていたジョンヘがふと尋ねた。


「 まるで見てきたように話すのね…。ところであなたは誰? この町に住んでいるの…?」

「 僕は危険を知らせ、敵兵を退ける。僕も、僕自身を救って完全な自分に戻りたいから… 」

「 …面白い話ね。それで、皇帝はどうなったの?」

「 運命を追ってる。道に迷わず無事に帰って来れるかな。半分しかない息笛は力が弱いから… 」




イ・リムの息笛は消滅した。
少年は感情のない目で遠くを見つめた。





       ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





ついにゴンが到着したのは、イ・リムと同じ1994年の大韓帝国だった。
竹林を抜けて馬小屋にたどり着くと、馬小屋ではマキシムスが生まれていた。
マキシムスの生まれた夜…それはまさに謀反の夜だった。
ゴンは馬小屋を後にし、宮殿へ向かって無我夢中で走った。


ダン!ダン!!

歴代皇帝の肖像画が並んだ廊下は、すでに銃声が通り過ぎた後だった。
ゴンは床に倒れた近衛隊員の手から銃を拾い上げた。
悲壮な歩みで天尊庫へ向かったゴンは正確にイ・リムの手下たちを照準した。
素早い身のこなしで迷いなく弾丸を飛ばすゴンに、リムの手下たちはなす術もなく倒れていった。

リムとその一味が足早に逃げ去ると、ゴンは重い足取りで父親のイ・ホの元へ近づいた。
懐かしい父親との悲しい再会…
血の海に沈んだ父はすでに事切れていた。
震える手で、ゴンは目を開けたまま息絶えた父の瞼をそっと閉じてやった。
そして幼い自分に近づくと、手を伸ばし脈をとった。

生きていた…

自分が生きていることを確認したゴンは、イ・リムの後を追うため急いで立ち上がった。

その時、気を失っていた幼いゴンが最後の力を振り絞ってゴンを捕まえようとし、ポケットから出ていた身分証の紐を引っ張った。

テウルの身分証だった。



ゴンは来た道を戻り廊下を走った。
すると遠くから、天尊庫に駆けつけてきたノ尚宮の姿が見えた。
ゴンはノ尚宮と正面から出くわした。
26年が経った今よりずっと若く見えるノ尚宮だった。


「 何者だ…! 逆賊の残党か……!?」


警戒したノ尚宮が尋ねた。


「 そなた…私に会っていたのか!?……信じがたいだろうが、私はそなたの主君だ。」

「 主君だなどと…ふざけたことを!!」

「 ……私はそなたに、返しきれない程の借りがある。そして今、私はそなたの言う通り運命を追っているところだ。 だからどうか…どうか今は見逃して欲しい。お願いだ…… 」


真剣な口調でそう懇願する男…
初めて会うその男に、何故か違和感がなかった。
ノ尚宮は彼の言葉に揺れた。
その隙にゴンはノ尚宮の横を通り過ぎ、血の跡を追いながら宮殿から外へ通じる回廊を駆け抜けた。

しかし、すぐに血の跡が途絶えた。
どこへ逃げたのだろうか…
四方を見回していると、離宮方面から近衛隊が謀反の知らせを聞いて駆けつけてくるのが見えた。
ということは、イ・リムは裏門に逃走中ということだった。
ゴンは裏門への最短ルートを進んだ。
裏門に差し掛かると、再び血の跡が現れた。
と同時に、裏門を閉めている男の背中が見えた。


「 振り返れ。」


男の後頭部に銃を突きつけたまま、ゴンは低い声で言った。
銃口のひんやりとした感触に驚いた男が、手を上げたままゆっくり振り返った。
振り向いた男の顔を見た瞬間、ゴンの目が驚きに見開かれた。

イ・ジョンインの長子、イ・スンホンだった…


「 何者だ…近衛隊ではないな。正体を明かせ…仲間ならこんな真似をする必要はない。 」

「 イ・スンホン…お前だったのか。イ・リムを逃したのは…お前だった。 お前によってイ・リムは宮を脱出し、その足で大韓民国へ渡ったんだな… 」

「 誰なんだお前は!!」


怒りに満ちたゴンはスンホンの太ももに銃弾を打ち込んだ。


「 ゔあぁっ…!」


苦しい呻き声とともにスンホンは崩れ落ちた。
スンホンの足を貫通した弾丸は音を立てて床に転がった。
ゴンは血まみれの弾丸を拾い上げると、そのまま裏門を抜けた。





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もう一度戻らなければならなかった。
稲妻のように光る幢竿支柱の中へ、ゴンは飛び込んだ。
そして竹林を抜けて通りに出たゴンは、不思議な違和感を覚えた。
建物の姿と通り過ぎる人々…
目に映る大韓民国の様子は、見慣れたようで不慣れだった。
時間が止まった人々のもとへ、ゴンは一歩ずつ近づいた。
新聞を読んでいた人に近づき、ゴンはその内容を確認した。

1994年12月20日

ゴンは1994年の大韓帝国から1994年の大韓民国に来ていた。
ゴンは再び竹林に向かって引き返した。
そしてもう一度、1994年の大韓帝国へ渡った。

街路樹ごとに国葬を知らせる白い旗が掲げられ、家電製品店のショーウィンドウに並ぶテレビには慟哭を上げながら泣いている自分の姿が映っていた。
間違いなく確実に抜け出したと思っていたが、そうではなかった…
そしてもう一度、ゴンは幢竿支柱を飛び越えた。

そうして次に到着したのは、1994年12月22日の大韓民国だった。
時間軸がなくなっている…
半分の息笛では平行移動しか出来ないという現実を、ゴンは悟った。
頭を抱えて必死に時間を計算した。
2020年に移動するためにはあと26年…次元の扉の中では約4ヶ月…待たなければならなかった。

あまりに絶望的だった。
しかし何もしないわけにはいかなかった。
過去に留まるしかないのなら、過去にできることをしようと考えた。
1994年なら、大韓民国のイ・ジフンもまだ8歳だ…
ならば死なずに済むかも知れない。
ゴンは公衆電話ボックスに飛び込むと、貼られた防犯案内ステッカーの表示に従って112を押した。
そしてイ・ソンジェ、イ・ウノ、イ・ジフン、ソン・ジョンヘの名前と生年月日を急いで伝えた。
ソン・ジョンヘを除いた全員の命が危ういと…
ゴンは警察が自分の話に耳を傾けてくれることを祈った。

しかし、ジフンは午前中にすでに死亡した状態で発見されていた。
ゴンは一歩遅れたのだ。
身元照会をしていた警察の声にもゴンへの疑惑が込もっていた。
ジフンを生かすこともできず、それどころかゴンは容疑者として疑われてしまった。

ゴンは電話を切り、ポケットの中の息笛を確認した。
息笛には亀裂が生じていた。
半分の息笛を使い続ける副作用なのだろう。
ゴンは襲いくる絶望を懸命に抑え込んだ。

時間の流れがゴンにはゆっくりと…他の人々には速く…流れていた。

過去に閉じ込められたゴンの唯一の希望は、過去のテウルに会えることだった。
まともな挨拶もせず、笛の音を追ってここまで来てしまった自分は本当に” 愚かな恋人 ”だった。
ゴンはかつてのテウルに何度か会うことを決めた。

2020年のある日、自分を待っているはずのテウルが少しでも辛くないことを願いながら…






ザキング 永遠の君主
    36.「再び、あの夜へ」

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