見出し画像

「ダイアローグを可能にするフィンランドの社会政策と基盤を学ぶ」

障がい者雇用とダイアローグ事前学習会へ投稿した文章です。

 高槻OD研究会でこのような企画をしてくださってありがとうございます。
事前にあげてくださった文献もフィンランドの歴史と発展を知る上でとても参考になりました。
 
 ベッカ・クーシーによる60年代の社会政策における「市民に一番」というスタンスがフィンランドの政策において浸透されているという点に感銘を受けた次第です。
 文献を読みながらでも日本と比べフィンランドの政策は教育、福祉においてはるかに進んでいるということがうかがえます。
 今回、この勉強会を機に古市憲寿 トゥーッカ・トイボネン氏の「国家がよみがええるとき」を読む機会を持ちました。

 「競争やめたら学力世界一」や「子どもと家族にやさしい社会」という著書などの紹介でフィンランドが進んでいる国というイメージがありながら、OECD(経済協力開発機構)主催の国際学力調査PISAで世界一位となったがために、現在の教育政策でいいと官僚が教育費を削減してしまったことにより、さらに教育の低下を生んでいること。実際に通う学生が学校を好きになれていないという状況を生んでいることなど書かれていました。
 各国からの視察に対して先駆的な学校の紹介しか国はしないもの、田舎の学校は予算不足で苦しんでいる。
 自立を尊重するあまり、両親との生活が希薄になり、うつや自殺も決して少なくないという実情なども知ることができました。逆にそういう問題があるからこそ、ダイアローグが重要になってくるのでしょう。
 抱えているフィンランド自身の問題についても各方面の知識者達の論文が載せられていて、矛盾の中にあって、それでも生き抜こうとするフィンランドの人達のスタンスにすばらしさを感じます。それが、スウェーデンに植民地化されて、ロシアの支配や二度の対戦でも賠償金を払ってでもスオミ(フィンランドの人は自分をそう呼ぶようで)であることを守って戦ってきたというプライド。
 彼らは「勝ち目のない状況を覆して見事に生存した話」を語っている。それは忍耐と不屈の精神を他のどんな価値よりも強調する。それはまさに「炎と氷の中から鍛えられたフィンランドらしさ」であり、フィンランド人が持つ自らのアイデンティティへのまなざしの核となる部分である」(アルフ・レーン)という意思なのでしょう。

自分はこのことにどれだけのことを学べるのだろうかという気持ちでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?