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にじうろくにちめ(てっぽう)

昨日は日テレ×Huluのゾンビドラマ『君と世界が終わる日に(以下クソ)』についてプンプンしながら書いた。
様々な不満点はあるのだが、大きな不満点の一つとして日本における「銃」についての取り扱いが酷いと言うのがある。
確かにフィクションだし、ある意味ファンタジーであるのだから日本でも銃がバンバン出てくる表現作品は無数にある。しかし、それはあくまでファンタジー設定の上で成り立つものであり、日常が一変して異常な世界になるというゾンビをモチーフにするのであれば、やはりそこはその国々の社会情勢が反映されるべきであると言うのが僕の意見。

個人的には何度観ても(エドガー・ライトの作家性との相性が大きいかもしれない)ピンとこないが、ゾンビ映画として名作とされる『ショーン・オブ・ザ・デッド』は日本と同じく市井の人が気軽に銃を持てないイギリスでの物語で、銃が出てこない(出てこなかったよね?)ゾンビ映画だ。
ゾンビアポカリプスで銃が使えないなら何を使うか、それはゾンビをモチーフとする際の大きなファクターの一つだと思う。

一方でクソの場合はどうか。
日本版ウォーキングデッドをやろうとしたせいか、日本刀やアーチェリーそして銃が登場する。
日本刀にしてもアーチェリーにしても日本においての銃は、日本でのゾンビアポカリプスではリアリティが無く、それらが出てきてため息しか出なかった。
100歩譲って日本刀や元弓道部員のアーチェリーはアリとしても、やはり日本においての銃だけはダメだ。

さて、現在の日本で銃を扱える人は主だったところで言えば警察や自衛隊、その他の公権力機関の一部、猟銃や射撃の資格を持った人、そして反社会的勢力になるんじゃなかろうか。(他にもあったらごめんなさい)
公権力機関にしたって資格を持った人にしたって「銃を撃つ」と「銃を整備する」ことは出来ても「人(または人の形をしたもの)に対して撃つ」ことをした人なんてほんの一握りの人だけじゃないか。
反社会的勢力の方がよっぽど人に対して撃つことに特化してるんじゃないか。

クソでは拳銃でヘッドショットしまくったり、小銃をバリバリ連射したり、挙げ句の果てに医者であるはずの中条あやみが拳銃で長距離射撃しようとしたのを見た時は爆笑してしまった。
潜在的に銃使って人を●したいと思ってる人はいるかもしれないけど、果たしていざ目の前に拳銃なり小銃があったらちゃんと使えますか?って話で。

僕は高校を卒業をして8年間自衛隊にいました。
僕の頃は標準装備が64式小銃と言うもので、こんな感じ。

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銃を授与されてからは、ひたすら分解結合の繰り返しでその構造とメンテナンスを頭と体に叩き込み、射撃訓練は的を狙ってひたすら空撃ちでイメージトレーニング、そして迎える初めての射撃は25m先の的に当てると言うもの。
銃の分解結合も習得し、射撃訓練のイメージトレーニングもばっちり、けれども初めてのたった25m先の的に当てるだけの射撃で銃が持つ本来の怖さを実感するのです。
その音に、その衝撃に、その指先に力をこめた先にある結果に。
耳栓をしなければならない音にしても肩と頬骨に響く衝撃にしても撃つうちに慣れてはきます。
だけども、25mの的が100mとなり200mとなり最終的に300mとなり、射撃に至る動作もスムーズになっても、指先に込めた力の先にある的がもし人だったらと思うといつまでも怖かったのを覚えています。
そりゃ24万人いる全員がそう思ってるとは思わないけど、人殺し集団と揶揄される中で多くの自衛官はその恐怖心は持ってると思いますよ。

日本を舞台にした映画やドラマでジャンジャンバリバリ銃を撃ちまくるものは無数にあるけど、その大半はフィクションとして楽しめたり笑って過ごせたりするんですが、クソの場合は自分が好きなゾンビモチーフだったのと自衛隊の扱いに納得いかなかったのでぷんぷん丸になってしまいました。

ちなみに僕が思う日本でのゾンビアポカリプスに有効な武器はバール一択です。
日本刀なんか振り回すにも体力と熟練度がいるし何より武器として脆い、斧も威力はあるけどヒットポイントの面積が小さい、ナタはリーチが短いし、鎌は斧よりもヒットポイントの面積が小さい、ナイフでコメカミ一閃なんて思ってる奴は血液感染を考えていない馬鹿だ。
バールならものにもよるけど比較的軽量でも威力はあってヒットポイントの面積が大きいのがいい。振り回して当たったところがダメージになる。ある程度のリーチも保てるし叩くことも刺すことも引っ掛けることもできる。災害時のインフラ復旧にも役立つし、そして頑丈。
これ以上のものがありますか?

さあ、明日はホームセンターへお気に入りのバールを見つけに行こう!

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