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204日目(人間凶器)

昨日の記事に関して、少しだけ名前が出た倉本成春をご存知だろうか。

極真時代の師匠はこの倉本師範に心酔しており、後に拳道會を抜け自らの武道を追求していた師範を香川にお招きしてセミナーを開いたほど心酔していた。
昨日も書いた通り練習の前に行われる部位鍛錬が辛くて辛くて…
善通寺駐屯地極真空手部では砂袋や巻藁を使用せず、ジャンプ等の週間漫画誌を2冊重ねてそれをガムテープでグルグル巻きにしたものを持ち手が胸の位置で持ち、それを正拳、手刀等で打ちつける。
今では白魚のような手になってしまったけど、当時はそれなりにイカツイ拳になっていて、徳島にライブを見に行った際に見ず知らずの総合格闘技を習ってる人に拳を見て声をかけられたほど。
それでも、うちの師匠や倉本師範のように毎日凄まじい数の部位鍛錬してる人に比べれば子供の手のようなもの。そのような人たちの手はまさにドラえもんのような手になっております。

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そんな倉本師範には今でも語り継がれる都市伝説のような逸話があることをご存知だろうか。
その逸話がまことしやかに2000年初頭のネット上で流れ始めた頃、駐屯地内の僕の居室へ師匠が満面の笑顔で訪れたのだ。
「おい大介!知っとるか!倉本師範が中村誠をノしたらしいぞ!」
内容の殺伐さとは裏腹に師匠はめちゃくちゃ嬉しそうにそう語った。

中村誠と言えば極真空手世界大会第2回第3回の二連覇を成し遂げた初期の名選手。


かつてはうちの師匠も中村誠が指導する兵庫支部にも在籍していたが、その師を心酔している倉本師範がノしたことに嬉々としていた。
真相、真贋のほどはわからないが、酔っ払った中村誠が倉本師範に非礼を働き裏技で制圧、その後道場でも手合わせしたがそれも返り討ちにする。
と言う知名度としてかなりの差がある両名の立場をひっくり返す、まさに武道幻想の具現化と言ってもいいエピソード。
今でも薄らとネット上に残されているそのエピソードの断片が果たしてどこまでの真実に迫っているかは当事者両名しか知り得ないわけだが、やはりアスリート競技となっている現代MMAの時代にあっても、そういった幻想にはある種のロマンを感じてしまう。

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