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論理で他人の感情を理解する

私は高校生、既卒生を対象に現代文を教えていました。そして、私自身も大学受験で現代文を勉強した人間です。

こうして長いこと現代文と向き合ってきましたが、現代文を語る上で欠かせないことがあります。それは以前少し話題になった「論理国語」と「文学国語」にも関わってきます。

全ては論理を土台に成り立つ

私は受験勉強のメリットの一つとして現代文を学習出来ることと考えています。

しかし、多くの中高生は現代文を誤解しています。それは、現代文の学習をあいまいにしていたり、勘で当ててしまう受験生を見れば分かることです。確固たる学習法を持っていないわけです。

すると、現代文の学習で本来習得されなければならない「論理的読解」が全く習得されないということになるのです。

現代文の全ては「次の文章を読んで後の問いに答えよ」から始まります。つまり、ある人が書いた本を読み、問題作成者が作った設問に対処しなければならないのです。

特に評論文では、この2つの作業を行うにあたって「論理」を必要とします。これは言うまでもないことで、筆者の主張を具体例や引用等を目印にしながら読み取らなければならないのです。自分の頭である程度筆者の主張の方向を整理できたら、次は問題作成者が作った設問への対処を行わなければなりません。こうして初めて正解に辿り着けるわけで、勘で出来るものではないことをご理解いただけると思います。

しかし、論理的読解を必要とするのは評論文だけではないです。小説の登場人物の心情も論理的に把握することが大切です。こんなことを言うと文学作品をなめているのかと叱られそうですが、では他人の気持ちを自分勝手に解釈していいものなのでしょうか?

登場人物の心情を把握するためには、それまでに起きた出来事やその人の境遇等様々な背景を読み取ることが欠かせなくなります。登場人物の心情の揺れは出来事や環境についてくるもの。

「なんでこの人怒っているの?」「なんでこの人は気分が晴れやかになったの?」といった問いにはそこで起きた出来事や背景を論理的に読み取ってこそ答えられるものです。

これは実生活でも同じです。他人の気持ちを理解するにはその人の境遇、その時にあった出来事を聞かないと分からないことです。私が様々な人の相談に対応できるのは現代文で論理を知ったから。入試で一番勉強して良かったのは現代文であると言い切ることが出来ます。

論理と文学は切り離せない

これまでの話で論理国語や文学国語と分けることがおかしいことを理解していただけましたか?

論理は全ての土台。勉強はもちろんのこと、仕事や人間関係をうまくこなすコツでもあります。人間の世界は他人との関わりで成り立つものです。現代文の勉強を通してうまく応用をきかせられるといいのではないでしょうか?