マーラー『大地の歌』昔語り

2014年5月、東京交響楽団で聴いたマーラー『大地の歌』があまりに素晴らしかったので、おもわず昔語りをしたくなってしまいましたw。

初めて聴いたのは大学生のとき。新日本フィル。指揮は朝比奈隆でした。指揮者が棒を振り下ろしたのに、きっかけを掴み損ねたのか、冒頭のホルンの斉奏が入れず、それに続く指揮者の(会場に鳴り響く)激しい足踏みで、ようやく気を取り直して音楽が進みはじめたという、なかなかに強烈な出会いでしたw。 でも、なんという馥郁とした香りを持った、気高い音楽なんだろう。マーラーが普段交響曲で描こうとしている世界とどこか根底でつながっていながら、あきらかに独自の世界観が拡がっている。なんというか、一目惚れのような出会いでもありました。

それ以降、マーラーのすべての作品に順に接していきましたけど、自分にとってこの曲がマーラーのトップの座を譲ることはありませんでした。秒を追うごとにこまやかに歌詞の世界を追い続ける音楽はオペラ的でありながら、詩とその物語だけを描くだけではない、マーラーにしか描けない、マーラーそのひとの世界像がそのままこの詩と相対しているようにきこえて、聴くたびにいつも身震いしています。生なお冥(くら)く、死もまた冥し。ショーペンハウアーとマーラーが、中国を媒介として語り合っているようなスケールの大きさも魅力のひとつでしょう。

魅力的な演奏はいくつもあります。ごく一部だけ先日のツリーでご紹介しましたが、DCHを観られる方は、第6曲を歌うオッター様の神々しさをぜひご堪能ください。

仕事で解説や対訳を書くようになって、この曲もわりと早い時期に手がけることができました。どの曲も同じように取り組んでいるつもりではありますが、やはり、他の曲よりも注ぎ込んだ熱量が違ったようです。普段は対訳の出来を(良きにつけ悪しきにつけ)コメントをもらうことなんてありませんが、この曲につけた対訳だけは本当に褒めてもらえることが多くて、理由なんかまったくわかりませんが、いつも驚いています。

まあ、たまには自慢してもいいか。こんなところまで読むひとはいないだろうからw。お付き合いいただき、ありがとうございました。これからも、おそらくは一生、この曲は自分にとって特別でありつづけるでしょう。いつか、まとめて、なにか書き残しておきたいなと思いつつ。

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