ブラックサンダーの歴史は安土桃山時代までさかのぼることを知る人は少ない…

鉄砲伝来と共にやってきた宣教師は、とにかく甘い非常食を持っていた。カロリーが高く、非常にコンパクトな黒く硬いものは、数こそ少ない為に広く伝わりはしなかったが、忍びの兵糧丸として、密かに広まっていた。もちろん、内容はあんこ等の和のものに変わっていったのだが…。

そんななか、安土桃山時代も終わりを迎え、江戸時代に入ると忍びの役割もほぼ終わり、彼らの生活にもそれらが出回るようになる。あんこなので黒というよりは紫に近かったが、長崎では、カカオ等の入手により、元々伝わったものに近い形のものが広まった。

その時はまだ一部の裕福層の嗜好品に過ぎなかったが、明治になると比較的安価にカカオが手に入るようになり、その色から「ぶらっくさん」と言う名前で東京でも人気を博すようになる。

第二次大戦中は敵性言語としてその名は廃れてしまったが、戦後に「ブラックサンダー」として世に広まってからの人気は皆の知るところであろう。




まさか本気にする阿呆はおるまいな?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?