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晴れてよかった(2021年5月場所14日目、寺沢さんまとめ縮小版)

※しゃしんは三月に国技館で見たときのです

其処には思いっきり贔屓目しかないという自覚はあったので、3場所くらい温めたほうが良いと思っていたネタだったが、結局間に合わなかった。

だから書いちゃえ。

部屋に幕下力士しかいないので稽古環境が、と、大関朝乃山がしばし云われていたことに、しばしば憤りとか忸怩たる思いとかを抱いていた。主に誰を相手にして、どんな稽古をどんな感じでやっているのか、ということを、もっと識りたいと思っていた。この大関をきっかけに人生たぶん4度目くらいに大相撲にハマり、この部屋贔屓にもなった者として、もっと番数をと大関が周囲から指摘されることを、その指摘はどういう方向からのことであるかというのを吟味しながら理解を深めて行きたかった。

かなり漠然と、寺沢にもっと大関と勝負になるくらいの力量がついてきたら、稽古場に於けるお互いの存在はとても大事な大事なものになっていくのだろうと思っていた。体格、右四つと左四つ、スピードとパワー、相撲の幅や組み立て方、様々な意味で対照的であり、かつ本場所で対戦することはない。まずは稽古廻しの色がおなじになるところがスタートラインだと言い聞かせ、しばし妄想にとどめていた。

稽古場にいる大関は「とてとて(=とてもとても強い相手)」であり、稽古場での番数の報道でも幕下側が勝つ番数が多くて3番くらい。力をつけるという意味以外ではあまり現実味のない相手だ。そう思っていた。だが、ここ2場所は、現実の幕下の土俵にも、突然とてとてが混じっていたわけだ。

4連勝で勝ち越しを決めた寺沢が、9日目に5番相撲で当たったのが、その「とてとて」阿炎(最高位小結、コンプライアンス違反のペナルティで3場所休場し幕下2場所目)であった。何してでも4連勝に乗せて欲しいと、4番相撲のときに思っていたのは、たぶん今だから書けることである(ほんとに注文相撲やるか)。大関の対戦相手として書かれても不思議はない相手であった。一発圏内で上がれる場所にいるわけだからかなり理不尽な相手ではあるのだが(先場所の時栄の7番相撲もそれ)、阿炎には真っ向から当たってガッチリ押されて暫く抵抗して力尽きた。時間調整の塩まきというおまけもついて、恐らく今場所のひとつのクライマックスだった。

その後2日空いて、12日目に6番相撲が組まれた。1敗同士、てっきり北青鵬(9枚目)とだとばかり思ったら芝(8枚目)とだった。ということがわかるかわからないかというタイミングで、例の文春砲が発砲されたことを識った。

さらに大関が最初否定したのを一転認めるなど、その衝撃の中で、今の、あるいは、かつての付け人をはじめ、部屋の方々は、ちゃんと寝られているのだろうか、あしたの相撲にきちんと挑めるのだろうか、ということばかり気にかかって、わたしもまんじりともせぬ夜を過ごした。12日目は、どこかしら、部屋全体に力の入りきらないさまが、(あとから見たら)見えてしまって、それを見て更に重苦しいものを感じていた。

相撲が個人競技なのか、個人競技でありつつも、部屋対抗の団体戦的な意味合いを含めているのか、ということに、しばし思いを致した。12日目を終えた時点で、幕下以下だけが出ている、部屋のひとりひとりに残されたのは、それぞれ1番だけ。個人競技として、ただ自分のために、力を出して、場所を終えて欲しい、そう思った。

奇しくも7番相撲の相手は、同じ新潟県出身の王輝となった。王輝は、寺沢幕下優勝の昨年9月場所、新十両で肘を痛めながら皆勤15連敗、それからしばし番付を落としたが、じわりじわりと上がってきた。高砂幕下7人衆とは、これが3人目の対戦であった。

ここのところ天気が悪かったという、東京の空が晴れたというこの日、寺沢は目の覚めるような力強い速攻で、5勝目をあげてこの場所を締めくくった。本人にとってもそうだろうが、観る者の雲を振り払って見せてくれた。

来場所は自己最高位(西幕下4枚目)近くに上がることになるのだろう。そして、ひとつ、相撲に武器が見えてきている、次の二文字を意識させてくれる、そんな7番相撲になったという感がする。

場所後に、部屋には激動がありそうだし、見守らなければならないことは増えそうだ。だが、ひとつの灯火をそこに見てもよいのだということを、しっかり握りしめて、次の場所をたのしみにしたいという気持ちになっている。

千秋楽があるので、この稿は、ひとまず、ここまでで。

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