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認知症エイコ

 今では、エイコは立派な認知症だ。

 ただ厄介なことに、本人の自覚が足りていない。

 何処かで自分はまだ大丈夫、と思い込んでいる。

 何処かで自分はまだ若い、と思い込んでいる。

 だから、困る。

 また、おまわりさんの厄介になったら、それこそ本当に本当に厄介だ。

 エイコが認知症という事に、私もなかなか認めて受け入れることができていなかった。と言うか、最初は、ただの物忘れで、それがちょっと重症化している? 程度だと思っていた。と言うか、そう思いたかったのかもしれない…。

当時、ウチには、なぜか4ドアの大型冷蔵庫2台に、上部がスライド式になっている小型の冷凍庫があった。シンイチロウとエイコの二人暮らしにも関わらず。

私は同居していなかったので、親の家と言えども、人様の家の冷蔵庫を覗く趣味は無かった。

それはまだパラダイス警察署にお世話になる前のことだった。ある時、エイコが、冷蔵庫が壊れたみたいなの。見て欲しい。と言い出した。

 家に行って見てみると、冷蔵庫の床が濡れている。冷蔵庫の水の受け皿がいっぱいになってそこから更に水が溢れ出ている。フローリングの床板は変色している。このまま放置していたら、床が腐って抜け落ちる可能性が出てくる。

冷蔵庫を開けてみると、ギッシリと隙間も無く色んな食材が詰め込まれていて。

 一生懸命大型冷蔵庫は中身のものを冷やすために働いてくれるも、その内容量に追いつかないばかりか、ぎゅうぎゅうに押し込められて、ドアが閉まりきらず、結果、下の受け皿から水が溢れ、床が水浸し状態になったしまっていたのだった。

 今にして思えば、もうこの時既にエイコは認知症だったのだ。間違いない。

 よくよく冷蔵庫を穿り返すと、ほうれん草が5、6束。中には腐ってクタクタにびちょびちょになって変色している束もある。きゅうりも2、3袋。同じく開封もされずに袋の中で元の形を留めずにグッチョリと潰れて腐っているきゅうりもあった。中でも最悪だったのは、シンイチロウに食べさせるために買って来たであろう、いつ買ったか分からない高級なビーフステーキが未開封のまま、厳重なラップがされている中で蛆虫が何匹となくウジウジと蠢いていて、気持ち悪すぎてコレには本当に勘弁してほしかった。

 蛆虫が湧く、と言うのは本当のことだ。虫は何処からともなく湧いてくるんだ。不思議といえば不思議な現象だが、それにしても、気味が悪すぎて反吐が出た。

 冷蔵庫中も、腐った臭いが充満し、当然、家のリビングダイニングも腐った臭いで吐きそうになるぐらい、気持ち悪い事になっていた。阿鼻叫喚とは、こう言うことを言うのだと、身を以て実体験させられた出来事だった。

 エイコに、どうしてこんなに食べ物を買ってくるんだ? と問いただすと、

私が買って来たんじゃない。と言い張る。

あんた以外に、誰が買ってくるんだ? と畳み掛けて尋ねるも、

本人はダンマリを決め込む…。

 「埒が明かない」とはこう言うシチュエーションを言うのだろう。

45Lのゴミ袋を買って来て、冷蔵庫の腐った食材を捨てる。

食べ物を粗末にするのは、本当に嫌だ。大嫌いだ。

学生時代に、居酒屋のバイトをした。毎晩、大バケツいっぱいに捨てられる食材を目の当たりにした。こんなことをしていたら、日本はダメになる。バチが当たる。捨てる食材を見るのが嫌で、結局居酒屋のバイトを辞めた。

食べ物を粗末にするのが当たり前な神経に、自分はなりたく無かった…。

 子供の頃、シンイチロウの仕事の関係で、いわゆる発展途上国と呼ばれる国に住んだことがある。物心ついて初めての外国。夜に到着して、朝、ホテルの窓を開けて目に飛び込んできた異国の風景。高層ビルの中に点在する赤い瓦屋根の家並み。その遠くに見えたのは山肌に這いつくばって広がるファベーラと呼ばれる貧民窟。そして、初めて歩く異国の街の路上には、当時はもう日本では見慣れなくなった、道端に座り込んで物乞いをしている肢体不自由な浮浪者や、何日もシャワーも浴びていないだろう赤ん坊とその母親だったり…。信号待ちで車を止めると、すかさず子供たちが寄って来て、物乞いを始める。ショックだった。そして、ちょっと怖かった。

食べ物を捨てる国があれば、食べ物に飢えている国がある。

この矛盾が、どうにも私には受け入れがたい。

だから、食べ物を粗末にしたり、捨てたりするのは大嫌いだ。

大嫌いなことを、させられて、エイコには腹も立つし、

そんなエイコと、どう向き合ったらいいのか分からない自分もいた。



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