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ホールディング環境


心理学の文献で「holding envilonment(支持的な環境)」と呼ばれている概念を提唱したのは、イギリスの対象関係学派の中心人物であるD.W.ウィニコットです。彼が言う「支持的な環境」とは、生後1年ほどの、独立した自己意識が芽生える前の乳児期の環境のことです。その環境とは、最初は子宮であり、後には自分を抱いてくれた腕、母親の膝、おそらく父親や他の人たち、ベビーベッド、寝室、家の環境など、すべての状況を指します。つまり、ここでいう「支持的なあるいは、あるいは抱っこされる環境」とは、形成期における周囲の環境の全体像とその雰囲気を意味しています。この環境の中心は母親ですが、母親に限定されるものではありません。

子どもが抱っこされる環境がほど良いホールディング環境であれば、自分が世話をされている、守られている、理解されている、と感じることができます。このような環境では、最初は形がなく、流動的で変化しやすいあなたの意識は、自発的かつ自然に自分自身で成長できるのですが、、、。

以下ウィニコットの言葉です。

このような母性的なケアの問題では、物事がうまくいっているときには、乳児は何が適切に提供され、何が阻止されているかを知る手段を持たないということが公然の事実となっている。一方で、物事がうまくいかないときこそ、乳児は母性的ケアの失敗ではなく、その失敗の結果(それが何であれ)を認識するようになる:つまり、乳児は何らかの障害に反応していることを認識するようになる。(Winnicott, 1965, p. 52)

物事がうまくいかないと感じる前に、子どもは物事がうまくいっていることなど認識してはおらず、多少の混乱があっても、それが終われば、子どもはそのことを忘れます。しかし、保持されていない状態がずっと続いたり、断続的に続いたりすると、子どもは不安になり、現実に対する基本的な信頼感を失い始めると言います。

さて、この「ホールディング」とは実際のところ何なのでしょう?

抱っこは、ホールディング環境の最もわかりやすい例です。乳児は両親に抱かれることを好みますね。でも「正しい方法で抱かれる」必要があるんです。子どもが「自分は愛されている」「理解されている」「融合されている」「安心を受け取っている」「自分の体がピッタリおさまっている」と感じられるような抱き方は誰にでもできるわけではないってことを読んで、っちょっと目が覚めたというか、ホールディングの大切さがもっと腑に落ちました。

ウィニコットは言います。

ほど良いケアを提供する能力を持っている母親は、自分のワークの本質を認める形で自分自身がケアされることで、よりよいワークができるようになることに留意すべきである。また、それができない母親は、指導だけではほど良いケアができない。「抱きしめる」とは、特に乳幼児を身体的に抱きしめることであり、これは愛情の一形態だ。母親が乳児に愛情を示すことができる唯一の方法でもある。乳児を抱くことができる人とできない人がいて、後者はすぐに不安感を与え、乳児は苦しそうに泣く。(ウィニコット、1965年、p.49)。)

ほど良い保持環境とは、母親自身が、子供に愛情を注ぎ、肉体的にもケアすることを安定してできるような家庭内の情緒的環境もすっごく大事なんですね。私が母子にかかわるワークに関心があるのは、ベリーベイシックを整えることに注力したいからです。

最近読んだ記事で「全くなあ」と通じるものを感じたので紹介しておきますね。

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両親の間に緊張関係があれば、子供はそれを感じ取り、ホールディングの感覚は乱れます。きょうだい、おじさん、おばさんなどの存在や関係性も環境の保持に影響しますし、騒がしい、混沌としているなど、実際の物理的な質も影響します。頻繁に暴力が起きるような恐怖感や不安感がある場合、困難や危険への予感でいっぱいの不安な環境を作り出すことになります。

戦争、病気、トラウマ体験などなどホールディング感覚の崩壊、つまり基本的な信頼の感覚の崩壊という経験は、ある意味良く起きることなのです。もちろんどのような障害が発生しても、環境全体が保護されていれば、その影響は緩和され、軽減されるでしょうが、、。

乳児は「母親から受けた世話」によって、個人的なビーイングの感覚を持つことができ、存在の連続性ともいうべきものを構築し始める。この存在の連続性に基づいて、継承された可能性が徐々に個々の幼児に発展していく。母親のほど良いケアが十分でない場合、存在の連続性がないため、乳児は本当の意味で存在していない。代わりに、環境の侵害への反応に基づいて人格が作り上げられる。(ウィニコット、1965年、p.54)。)

抱っこされる環境は、乳児がその存在を持続して行ける、つまりIsness(在ること)の感覚を保ち続けることにとって根本的に重要なものです。それによって、子どもは成熟した人間へと成長することができるのです。

反対に、子どもが必要とするものを環境が十分に与えられない場合、子どもは自分自身でいられなくなるんですね。自分が消える。その反応として歪んだ自我が形成されて行くということです。

ウィニコットはこう言います。

母性的なケアが成功した結果、乳児には自我の強さの基礎となる存在の連続性が構築される。一方、母性的なケアが失敗するたびに、その失敗の結果に対する反応によって存在の連続性が中断され、結果として自我が弱まる。このような中断は消滅を意味し、明らかに精神病的な質と強度の痛みを伴う。極端なケースでは、幼児は侵害に対する反応の連続性と、そのような反応からの回復に基づいてのみ存在している。これは、私が考える自我の強さである「存在の連続性」とは大きく異なっている。(Winnicott, 1965, P. 52)

環境の阻害や混乱に対する反応は、子ども自身が生き延びて成長するために必要なものをもたらす、要するに生存レベルのステラテジーです。ただ要求するだけでは、望むようなやり方で抱っこされることがない、そもそも親は頼りにならないんだってわかると、子どもは自分や親、環境を操ってそれを実現しようとします。

親のために何かをしたり、親を楽しませたり、自分の欲求を隠したりして、親を喜ばせるためのあらゆる方法を編み出そうとするんです。いろんなやり方があって、それが各ポイントの質によって言わば9種類の違ったバージョンがあるわけですが、まあ基本は「ホールディング環境を取り戻そうとする行為」なわけです。

ホールディングを失ったことに反応しなければならないことで、子どもはもはやただあるがまま存在していることができず、魂の自発的で自然な展開は妨げられることになります。

悲しいかな、反応性の方が優勢になるんですね。

自我には、現実に対する根本的な不信感が潜んでいます。エニアグラムの中で例をあげてみますと、、。

ポイント1の反応は、自分自身を向上させることで、保持を実現しようとすることです。

ポイント2では、保持の必要性を否定しますが、それにもかかわらず、保持を提供するために環境を操作したり誘惑したりします。

ポイント3は、ホールドの必要性を否定しながらも、自分自身に言い聞かせます。「私は自分でそれをすることができる。」「現実がどうあるべきか、自分がどう成長していくべきかを知っていて、それを実現するんだ」と。

ポイント4では、ホールディングの喪失または不在は、存在との断絶があることを否定することによって打ち消され、同時に、環境と自分をコントロールしようとすることによって、環境を保持力のあるものにしようとします。

ポイント5は、実際の喪失感に対処せず、引きこもって孤立し、すべての状況を回避することで、その影響を直接感じないようにするという反応を示します。

ポイント6の取るステラテジーは、恐怖や不信感をより強く感じ、環境に対して防御的、偏執的になることです。

ポイント7では、保持していたものが失われる痛みを感じる代わりに、どうすればうまくいくかを計画し、それがどのように感じられるかを空想することをします。

ポイント8の反応は、ホールドを失ったことに腹を立て、それを取り戻すために環境と戦い、正義を貫き、傷ついた人に復讐しようとすることです。

ポイント9の場合、その反応は、すべてのことをスムーズに解決し、すべてが問題ないかのように振る舞い、機械的で生気のない人生を送ることです。

以上が、基本的な信頼を失ったときの反応として、9つのエナタイプが発達する仕組みです。

最後にーー

ここでため息つくよりも、基本的信頼を取り戻すという方向に進んで行くことが、エナタイプとコンステレーションで私が注力することなんです。

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