映画『初恋』(2019/日英/三池崇史)

 余命いくばくもない病に冒されていることを告げられたボクサーのレオ(窪田正孝)は、欲望渦巻く夜の新宿歌舞伎町でモニカ(小西桜子)という少女に出会う。レオは、父親に借金を背負わされヤクザ組織に囚われていたモニカに、親に捨てられ天涯孤独だった自身の境遇を重ね合わせ行動を共にする。一方、組織を裏切り薬を横流ししようとする加瀬(染谷将太)とそれに協力する刑事・大伴(大森南朋)の計画がヤクザ組織とチャイニーズマフィアの抗争に発展していき、レオとモニカも巻き込まれていく。
 監督は『オーディション』『クローズZERO』シリーズ等の三池崇史、脚本は三池組常連の中村雅、企画・プロデュースは近年東映で『孤狼の血』『小さな恋のうた』『見えない目撃者』等の秀作を世に送り出した紀伊宗之。また、これまで『十三人の刺客』『一命』『無限の住人』といった時代劇で三池とタッグを組んできたイギリスの映画プロデューサー、ジェレミー・トーマスが初めて三池の現代劇をプロデュースした。

感想(ネタバレ)
・座組がアツい 
まず何といっても座組がアツい。中村雅脚本でジェレミー・トーマスがプロデューサーの三池映画なんて面白いに決まってるのである。それに加え窪田正孝である。2008年の特撮テレビドラマシリーズ『ケータイ捜査官7』、オーディションで主演に選ばれた窪田にシリーズ監督だった三池は「10年後に窪田を選んだ理由がわかる」と言ったらしい。まさに約10年ぶりの監督主演タッグとなった初恋、アツ過ぎるでしょ。
・三池崇史初のラブストーリー
初恋は三池崇史初のラブストーリーとして宣伝されている。実際のところ初かと言われると『殺し屋1』『46億年の恋』『愛と誠』等があるので正確ではないと思うが、確かにこんなに大真面目にラブストーリーを撮ってるのは初めてかもしれない。そういう意味でこれまでの三池映画で一番初恋に近いのは『BLUES HARP』じゃないかと思う。あと、2018年公開『ラプラスの魔女』の福士蒼汰と広瀬すずを撮りながら三池は「俺キラキラもいけるな」とラブストーリーに興味を示したらしい。まさかこんなに早く撮るとは思わなんだが。
・三池崇史っぽさ全開
三池崇史は映画作りにおいて”頭かます”ことを昔から意識してるらしくOPがカッコいい作品が多いのだが、今作でもレオが音楽を聴きながらトレーニングしているところから始まり、そこから試合シーン、生首サービスまで流れるような編集で魅せてくれる。ぽさで言えばモニカの初登場シーンでのパンツ姿の映し方とかも滅茶苦茶ぽい。あとベッキーが車のガラスに顔を押し当ててるところは完全に『喰女-クイメ-』のセルフパロディ。モニカがフェンスごしに自分を置いていこうとするレオを見つめるカットは『神さまの言うとおり』で屋上で自殺する直前だった優希美青がフェンスごしに福士蒼汰を見るカットに非常に似ている。どちらも囚われた少女というのをフェンスごしに写すことで映画的に表現していて、男側はフェンスを隔てて自分の方に彼女たちを誘導することで救いだす場面になっている。ここで男側に手を引いて助け出させたりせず、あくまでも自らの意思でフェンスの向こう側に行かせている辺りメッチャ良いですよね。出所した権藤(内野聖陽)に市川(村上淳)がスマホの使い方を教えるギャグがあるが『龍が如く 劇場版』でも10年間刑務所に入っていた桐生(北村一輝)に携帯電話の使い方を教えるギャグをやってたりする。あと三池組で毎回音楽を担当している遠藤浩二も絶好調。作品としては全く違うが音楽だけで言うと一番近いのは2007年の『探偵物語』で、ハードボイルドな世界観を意識した曲調。加瀬の「昔普通にあったものが消えていく、俺たち極道みたいにな」に対する大伴の「なに感傷的になってんだよ」や、権藤が車の中で言う「極道に朝日は似合わねえよ」等、感動的、もしくは感傷的な雰囲気になりかけるとすかさずメタ的なツッコミが入るところも”らしい”。てかそもそも極道ものかと思ったらトンデモ映画だった『DEAD OR ALIVE 犯罪者』や『極道大戦争』、SFコメディだった『FULL METAL極道』、不条理劇だった『極道恐怖大劇場 牛頭 GOZU』等、極道ものヤクザものの体裁をとりながら突拍子もないことをやるという物語構造自体が非常に三池的なのでオリジナルストーリーの極道映画に見せた純愛映画である初恋が三池っぽいのは当たり前なのである(何言ってんだ)。
・賛否両論のアニメシーン
終盤のレオ、モニカ、権藤の乗る車が駐車場から文字通り飛び出すところがアニメになる部分は結構賛否両論でしたね。インタビューではスタントマンの高齢化で飛べる人がいなかったと説明していたが、急にアニメになって冷めた、いきなりリアリティラインがぶっ飛ぶんで冷めた、アニメだろうが実写だろうが関係なくリアリティ的におかしいので脚本の問題だ等々、まあ、ごもっともでございますとしか言えない。『ラプラスの魔女』でも車が宙を舞う描写があるので技術的にCGじゃ無理だったってわけでは無いんだろうけど、アニメの方がハズシとして面白いと思ったんでしょうね。ちなみに三池映画には”飛ぶ”というモチーフがよく出てきて、例えば『中国の鳥人』はまさに空を飛ぶ人が出てくる話だし、『新・仁義の墓場』では主人公がラスト風呂敷広げて身を投げる、同じ脚本家の『DEAD OR ALIVE2 逃亡者』では哀川翔と竹内力の背中に文字通り羽が生える。本作のアニメシーンと似たところで言うと、『アンドロメディア』では愛する少女の人格コピーが棲むパソコンを抱え追ってくる悪者から逃げる最中、追い詰められて崖から落ちるがかすり傷のみで命に別状はない。その後、仲間たちと乗っていた車と共に再び崖から落ちるがそれでも死なない、『漂流街 THE HAZARD CITY』では超カッコいいOPの後、主人公のマーリオと恋人はかなり高い高度で飛ぶヘリからパラシュート無しの生身で飛び降りるがかすり傷ひとつ負わない。三池映画では”愛”と”日本車への信頼”というピュアな気持ちさえあれば空も飛べるのである。なので正直あのアニメシーンを見てリアリティが...となる人は本質的に三池崇史という男とそりが合わないのだろう。
・痛みに立ち向かって生きろ!
序盤、日々のトレーニングやバイトを黙々とこなすレオの顔は無表情で喜怒哀楽などないように見える。ボクシングの試合で勝っても喜んでいるようには見えず、試合後、新妻聡(三池組常連!)演じるセコンドに「お前、何のためにリングに上がってるんだよ」と投げかけられる。その問いに答えられないまま余命宣告を受け、新宿の街を歩いているとモニカに出会う。モニカの父親はモニカが幼い頃から虐待をしており、借金で首が回らなくなるとモニカを借金のカタにヤクザに差し出し自分は行方をくらます。モニカは薬漬けにされ、体を売らされている。薬に溺れ、いつまで経っても借金は減らない。そんな中でレオと出会い、知らず知らずのうちに二人は黒社会の抗争に巻き込まれていく。追われる電車の中でモニカは父親の幻覚を見るが、レオが持っていたウォークマンで音楽を聴き気をそらすと幻覚の父親が躍りだし、モニカは恐怖を感じながらも笑ってしまう。その様子を見たレオはモニカに言う、「苦しいけど、おもろいのか?おもろいけど、苦しい?」。モニカの実家に行くとチャイニーズマフィアが待ち構えており、レオは咄嗟に拾った銃で一人撃ち殺してしまう。遅れて現れた加瀬と大伴に車に乗せられるが、ヤクザとチャイニーズマフィアの両方に追い詰められ激しい抗争の最中ユニディ狛江店に雪崩れ込む一行。レオはモニカと共に物陰に隠れ、時間を確認するために電源をつけると留守電が何本も入っていることに気付く。聞いてみると脳神経外科の境からで、余命宣告は間違いだったという知らせだった。それを聞いたレオは改めて死を意識し、恐怖と動揺で銃を持つ手が震え出す。モニカを追っていたチャイニーズマフィアに堅気ならば逃げろと言われるが、「死んだ気になりゃ、やれるはず」と自らモニカを守り抗争から助け出す決心をする。結局、抗争でヤクザ側もマフィア側も壊滅レベルで死者を出しレオ、モニカ、権藤の3人は車で警察から逃げる。その最中に権藤はそもそもの事の発端となったシャブを外にバラ撒くよう2人に言う。モニカにとっては苦痛から、現実から逃れられる依存の対象であるシャブだが、モニカは捨てる。その後、権藤と別れ2人はシャワーで体を洗いアウトロー達の世界との関係を完全に洗い流す。踏切でモニカは初恋の相手とその恋人に会うが、逃げるように2人と別れる。そしてレオに「私、生きてみる!」と力強く言うのだった。時は進みOPと対になるようにレオのトレーニングシーンと、それに続き試合シーンが始まる。カットバックでモニカが施設で薬物依存を無くすため戦っている様子が写し出される。よだれを垂らし叫び声をあげながら戦うモニカは、泣きながらレオに「助けて」と懇願していた彼女とは別人のようである。レオは試合に勝ち勝利の雄叫びを挙げる。レオも試合に勝っても無表情だった時とは別人のようだ。何の目的もなくただ淡々と存在しているだけで生きていると言えるだろうか、苦痛から逃れ安全な方へ楽な方へと向かっていって生きていると言えるだろうか、否!痛みや苦痛に立ち向かってこそ"生きてる"って言えるんだろうが!苦しいけど、おもろいのが人生だ!何のためにリングに上がってる?"生きる"ために決まってんだろ!ラストカット、引きの画でアパートの部屋にレオとモニカが入っていく。これは2019年公開のオムニバス映画『その瞬間、僕は泣きたくなった』の一篇『Beautiful』と呼応しているように見える。『Beautiful』も辛さに立ち向かい共に”生きていく”ことを決める男女の物語で、脚本も同じ中村雅。
・妄想裏テーマ
終盤のユニディでの抗争、権藤とワン(イエン・ジンクォク)の戦いやチアチー(藤岡麻美)が死ぬ所などで、やたらと重い音楽がかかったり、他の部分と比べて編集テンポが落ちていたりと正直、初見時はさすがに鈍重過ぎじゃないかなと思ったのだが、何度か観るうちにインタビューなどで三池が吐露しているアウトロー映画が衰退していく哀しさや淋しさが意識的にか無意識かは分からないけど表面に出てきてしまった結果なのではと思えるようになり、滅茶苦茶楽しい映画の筈なのに4回目5回目辺りは終盤に向かうにつれ目頭が熱くなってきてしまうようになってしまった。海外で上映された数分短いインターナショナル版では終盤の鈍重さはだいぶ軽減されていたので、ここら辺の淋しさは日本人にか分からないと判断されたのだろう。一応バランスを取るためか加瀬や城島(出合正幸)などの裏切り者達の死に様はだいぶ不謹慎なコメディとして処理していたのは流石!あとジュリ(ベッキー)が加瀬の腕を切り落とした後に「痛ぇよ!」と鬼の形相で言う辺りも「痛み」がテーマの一つであるという証明では?(と、今思い付いたので書いてみた)。ユニディを後にし、レオとモニカを逃がした後、大量のパトカーを引き連れる車内で権藤はゆっくりとハンドルから手を離す。そして対向車の来ない橋の上を奥の方へと去っていく。このシーン、完全なる筆者の妄想になってしまうが、三池崇史は自らと権藤を重ね合わせているのではないだろうか。舞台挨拶で三池は「今年還暦で、もう棺桶に片足つっこんでる。毎回これで最後でもいいやって気持ちで楽しんで撮りたい」と言っている。もう自分がこれから何本撮れるかも分からない。そんな中で、レオとモニカという”若さ”に未来を託し、自分はゆっくりとハンドルを離し去っていく。要はこの映画自体が”若手の作り手達へのエール”なのではないか。三池は自分より後の世代への言及をよくしている。自分が若かった頃は撮影所システムがまだ健在で若手を育てる環境がギリギリあったが、システムが崩壊し今や若手を育てる環境が無くなってしまった、と。コロナで撮影が出来なくなり三池は、自らが発起人となりカチンコprojectを企画した。カチンコprojectとは、フリーランスの映画監督・助監督を対象とした企画コンペで賞金総額は2000万円。応募された企画はリスト化され映画化に向けプロデューサーとの橋渡しの機会を創出し、実現への取り組みを行うというものである。若手監督の起用が少ない日本映画界で、若手監督と製作の決定権を持つプロデューサーが出会う機会を作ったのである。審査員には、初恋の企画プロデュースを担当した紀伊宗之を始め、これまで三池と組んできたプロデューサー陣の名前が並ぶ。こうなってくるとあながち妄想でもないのではないかと思えてくるがどうなんだろう。

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