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ロゴス #30

第30話『絶望的な皮膚病』

旧約聖書 レビ記 13章より

「ある人のからだの皮膚にはれもの、あるいはかさぶた、あるいは光る斑点ができ、からだの皮膚でらい病の患部のようになったときは、その人を、祭司アロンか、祭司である彼の子らのひとりのところに連れて来る。祭司はそのからだの皮膚の患部を調べる。その患部の毛が白く変わり、その患部がそのからだの皮膚よりも深く見えているなら、それはツァラアトの患部である。祭司はそれを調べ、彼を汚れていると宣言する

ユダヤの社会の中で、一番恐れられた…もしくは、一番絶望的な病気と言えばツァラアトと呼ばれた病気かもしれない。

この病気は、すぐさま死に至る病気ではないが、死よりも過酷な病気と言っても過言ではないのだ。

ツァラアトというのは重い皮膚病のことなのだが、患者の容姿がただれて醜くなる様子を見て、人々はその患者を

罪深い人に下された罰

であると考えるようになり、患者を汚れた者として扱うようになる

ツァラアト=罪 とは聖書には記載がない。当時の祭司達が勝手に定めていた過大解釈であるが、モーセの律法にも隔離するという決まりはあった。この病気は伝染病であるので、感染の拡大を防ぐために、隔離するという方法は必要であったかもしれない

まず、祭司によってツァラアトだと診断された者は、即座に社会と隔離された地区に連行される。家族との別れの挨拶すら許されない。そして自らこう叫ばなければならない

「汚れている❗️❗️❗️汚れている❗️❗️❗️」

そう叫びながら衣服を引き裂くのだ…

旧約聖書 レビ記 13章 45節 「患部のあるツァラアト患者は、その衣服を裂き、その頭を現し、その口ひげをおおって『汚れている、汚れている』と叫ばならない」

この屈辱的な苦しみは、一過性のものではなく、治るまで続く(基本治ることはないので一生)

服装や髪型なども指定されていて、口から下を覆い隠し、髪はボサボサに乱さなければならないし、衣服もボロボロにしなければならない。

一目でツァラアトだと気がつくので、人は汚れを避けるため逃げていく。そして、自らも人を遠ざけるために

「汚れている!!汚れている!!」

と叫び続けなければいけないのだ。なんと悲劇的なことであろうか。凄まじい屈辱と、果てしない孤独の人生が待ち受けている…

さて、イエスがあり町に訪れた時のこと

絶望が歩いてやってきた。その者は叫んでいる。

「汚れている!!汚れている!!」

『危ない、離れろ』そういう理由の元に決められた言葉であるが、『助けて、離れないで』と懇願しているかの様な、悲しみに満ちた悲痛な叫びであった。

民衆の一人からも声が上がったが、それは容赦無く突き立てられる罵声…

「ツァラアトだ!…それもかなりひどい、離れろ!」「帰れ!!」

その者は全身をツァラアトに冒されていた。相当進行した重い症状で、長い期間苦しんでいたんであろうことが、容姿と声から伺える。

ひどい罵声を受けながらも、その者はイエスに向かって真っ直ぐと歩いていった。そして目の前まで来ると、泣き崩れてひれ伏した。

「主よ…御心一つで…どうか私を治してください…どうか私を清くしてください…」

イエスは手を伸ばして、彼に触った…そして

「私の心だ…清くなれ」

と言われた。すると、

すぐにそのツァラアトが消えたのである…

そして彼にこう命じられた。

「誰にも話してはいけない。

ただ祭司の所に行き、自分を見せなさい。

そして人々に認めてもらうために、モーセが命じている清めの供え物をしなさい」

その男が人に触れられたのは、何十年ぶりのことであったろうか…

それは、病が癒されたことと同じくらい、彼の心を強く励ました。拒絶され続けていた日々から許された…そう思うと枯れていた涙が、溢れ出るのを感じた。

カペナウムの癒しの例を考えても、イエスは患者に触れる必要はなく、ただ命じるだけで、癒すことは可能であったろう。それでも手を添えたのは、彼の心をも癒すため

モーセの律法が定められて以降、ツァラアトが癒されたのは今回が初めてのことであった

そのため、ツァラアトが癒された場合の儀式も、手順として定められてはいたものの、実際に行われたのは、今回が初めてであったので、祭司も大変苦労することになった。その騒ぎで、今回の出来事は大きな噂になり、イエスの意向に反して、多くの病人と野次馬がイエスへ押し寄せるようになってしまった。

それからイエスは、その群衆を避けるように、よく荒野へ逃れて、祈るようになった…

…31話へ続く