ロゴス #34
第34話『安息日論争』
旧約聖書 出エジプト記 20章 8節〜11節「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された」
イエスの時代、安息日は最重要の律法として扱われていた。
安息日はヤハウェ(神)の女王であり、イスラエルの花嫁であると考えられ、さらに
「全てのイスラエル人が、安息日を守ったらメシアが現れる」
「イスラエル人は安息日を守らせるために神に造られた」
という言い伝えさえあった。しかし、これは全て口伝律法による定めであり、人の考えた律法である。
そんなある安息日での出来事…
過越の祭りのためにイエスはエルサレムへ上った…
エルサレムには羊の門(生贄の羊を運び入れたことからその名がつけられたとされる、城壁の北東に位置する門)の近くに
ベテスダ
と呼ばれる大きな池(縦90m横60mほどもある台形の池)があって、癒しの池として利用されており、池で身を清めてから祈ることで癒されると信じられていたので、大勢の病人がその池に入り、身を清めていた。そこに
38年間もの間、病気にかかっている人がいた
38年というと当時の平均寿命を大きく上回っている。38年も病気に伏せっていると聞くと、その悲惨さに顔をしかめるだろう。
その病人は池に入ることもなく、ただ眺めているだけであった。気力もなく、ただ呆然としている。あまりの闘病の長さに、もう「治りたい」とか「治ったら何がしたいか」とか、そういう希望的な欲求が湧き出ることは無くなっていた。ただ、惰性で、池に来ているだけであった。そんな、全てを諦めている病人の元へイエスが歩み寄った。
「よくなりたいか?」
病人は蚊の鳴くような声でイエスに答えた。
「水がかき回された時…池の中に
私を入れてくれる人が一人もいないんです
行きかけると…他の人が先に降りていってる降りて行ってしまうし…こんなんじゃ…よくなるなんて、無理です…」
病人から出る言葉は、自身の願望ではなく、他人への責任転嫁の言葉ばかりであった。自分の弱さを認める強さすらなく、ただただ、現状の責任を他人に擦りつけることで、自尊心を保っていた。
そんなグチグチとした病人に対し、イエスは簡潔に命令した
「今すぐ起きて、床を取り上げて歩きなさい」
すると、突き動かされるように立ち上がり、床を取り上げて歩き出した。病人には不思議と疑問や不安などはなかった。何故だかわからないが「治った」と直感的に感じ取ったのだった。
そして、なんと癒された人はそのまま歩き去ってしまった。長年の病気が瞬く間に治った事が、あまりに衝撃的で、良い意味で現実が受け入れられていないと行った感じである。しかし…
この日は安息日であった…
床を持って歩くことは労働とみなされる。この癒された人のしていることは、当時の律法違反(口伝律法違反)である。その様子を見かけた宗教的指導者が叫んだ。
「何をやっている❗️❗️
今日が安息日だと知らぬわけはあるまい❗️❗️」
安息日の律法は、当時の律法で最重要とされる律法である。違反が見つかった場合、最悪石打ちの刑(死刑)に課せられる重罪である。
長年の病気から急に癒され、意識が夢の中にいるようにフワフワと定まっていなかったのだが、急に浴びせられた叱責に、ハッとして、事の重大さに縮み上がった。
「すっ!すみません…私を治した人が『床を上げて歩け』と命令したのです。治してもらったものだから、断る事が出来ず…」
「その『床を上げて歩け』と言った奴は誰だ❓❗️❗️」
しかし、その癒された人は、その治した人が誰であるか知らなかった。人が大勢いる間に、イエスはその場から立ち去っていたからである。容疑が晴れることはなかった。そこで言った。
「探して来ます❗️もう少し待ってください」
…
宮を歩き待ってイエスを探すその人に、イエスから話しかけた。彼はイエスの顔を知らない。
「見なさい
…あなたは良くなった…もう罪を
犯し続けてはいけません…
そうでないと、もっと悪い事があなたの身に起こるから…」
彼は尋ねた。
「あなたのお名前をお聞かせください」
…
癒された人は、宗教的指導者の元に戻り、こう告げた
「私を治した人がわかりました
ナザレのイエスという人です」
その名前を言った途端に、聞いていた人たちの表情が変わったので、何か大変な事を言ってしまったのかと不安になってしまった。
「あの…本当にすいません。イエスという人の命令でやった事なんです」
裁こうとしていた人たちはもうその男に興味はなかった
「…もういい❗️帰りなさい❗️❗️」
その矛先はイエスに向けられることとなった。イエスを取り囲み、審問が始まった。
「イエス…お前は安息日に病人を癒したのか?」
病人の治療も安息日では禁止されている。許されているのは現状維持のみで、労働とみなされるので治してはいけない
イエスは口を開いた…
35話へ続く…