ロゴス #13
第13話『イエスのバプテスマ』
来る日も来る日も、ヨハネはバプテスマ(洗礼)を人々に授け、また、人々の荒んだ信仰を叩き直していった。そんなある日の出来事
群がる民衆の中で、格段に目を引く、一つの光を、ヨハネは立ち所に感じ取った。その光は、罪深き民衆の列に紛れ、そして
列に並んだのだ
駆け寄ろうとするヨハネに、手をかざし、
続けなさい
と列の中で示したので、ヨハネは、混乱しながらも、続けた。
何故この様な事を❓
ヨハネは珍しく動揺し、その意味を理解できないために、その日のバプテスマ(洗礼)は茫然たるものとなってしまった。
「先生❓…今日は体調でも優れないので❓」
「いや、そんなことはないが…すまない、今日のバプテスマは中止させてくれ」
ヨハネはバプテスマの中止を群衆に告げた。
遠路はるばる訪れた人たちも多く、その落胆はひどいものだったが、ヨハネの様子がおかしかったので、仕方なしと散っていく…
「待ちなさい」
罪深き群衆に紛れた”光”が歩み出て、言った。慌ただしい中にあって、その言葉は澄み渡る様に響いた。
「彼はバプテスマを続けます。迷いが消えるからです」
一歩…二歩…ヨハネの前に”光”が詰め寄った…
「私にバプテスマを施しなさい」
その迫る言葉に、ヨハネの弟子の一人が、遮ろうと思ったが、いち早くヨハネの言葉が走った。
「な❗️❗️何を❓…
私こそ、あなたからバプテスマを受けなければなりませんのに、何故、あなたが私にバプテスマを求めるのです❓」
ヨハネはついに対面したのだ。目の前にいるのは、間違いなく
キリスト(メシア)
記憶の彼方に、母の胎で感じた、ナザレのイエスがキリストとして目の前に現れた。
その事を確信できるのは、ヨハネが力ある者であるからだろう。しかし、目の前に立つその人は、力あるヨハネと比べて途方もなく偉大で、ヨハネの力強さは霞んでしまった。
そしてヨハネの疑問はもっともであった。ヨハネの授けているのは罪の贖いのためのバプテスマである。罪などあるはずもないイエス・キリストに、贖いのためのバプテスマなど、皆目必要のないものと思える。
ところが、イエスは答えて言われた。
「今はそうさせてもらいたい
”全ての正しい事”
を実行するのは、私たちに必要な事なのです」
ヨハネのバプテスマを指して、全ての正しい事と言った…これは
「あなたの行いは正しい事である」
そう言った事と同義である。その言葉だけで、ヨハネは満たされたが、疑問が晴れることはなかった。しかし、キリストの言葉を疑うことは僭越であろう。ヨハネは従った。
…
ヨハネの導きにより、イエスはヨルダン川へ一歩…また一歩と足を沈める…
腰まで浸かり…ついに頭の先まで、全身が浸かった…
その様子を、大勢の観衆は固唾を飲んで見守った。目が離せなかった。それは信じられない様な静寂であった。
水から上がられたイエスに、図らずも光(陽の光)が差した。その光景は、まるで神の御霊が下っている様に映った。
旧約聖書 イザヤ書 11章 2節「その上に【主】の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、【主】を知る知識と【主】を恐れる霊である
これは、わたしの
”愛する子”
わたしはこれを喜ぶ
ロゴス(神の言葉)が響く…その場にいる人々にも確かに聞こえた。
その言葉を発したのが目の前のイエスなのか、天の声であるのか、そんな事は重要ではなかった。観衆は思い知ったのだ…
この方こそキリストであると…
そして、イエスのバプテスマは終わった。
バプテスマとは本来、同化を意味する…
罪なきイエスは、罪ある人々と水のバプテスマによって同化したのである。
罪を背負ったキリスト
この背負われた罪の贖いを…ヨハネが生きて見ることはない…
…14話へ続く