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ロゴス #12

第12話『私はキリストではない』

「聞け❗️❗️マムシの子孫ども❗️❗️❗️❗️」

思いもよらぬヨハネの厳しい叱責で、群衆はビクッと背筋を伸ばした。

マムシとは悪魔の比喩とも取れる…つまり、神に選ばれし民であるイスラエルの民とは対極にある表現で、まさか自分達に向けられた言葉とは、到底思えない。

「必ず来る主の怒りを逃れる事ができると❗️❗️一体誰がお前たちに教えたのか❗️❗️」

…群衆は唖然とした。我らが裁かれる?選ばれし民、アブラハムの子孫である我々が?マムシの子孫とは異邦人の事ではないのか?

「救われたいなら、それにふさわしい悔い改めをしろ❗️❗️❗️

『我々の先祖はアブラハムだ』なんて心の中であぐらをかいているんじゃない❗️❗️❗️」

群衆は釘付けになった。ヨハネは荒野に転がる一つの石ころを掲げると、続けて言った。

「よくよく考えよ❗️❗️❗️今一度言っておくが、神は”こんな石ころ”からでもアブラハムの子孫を起こす事がお出来になられるのだ❗️❗️❗️❗️」

イスラエルの民は自身の系図を誇っていた。同時に異邦人を見下している節が大いにあった。その誇りを、ヨハネは一蹴した。

系図など、神にとっては些細な事

その言葉に、群衆は急に心もとなくなり、混乱する。

「斧はすでにお前たちの足元に置かれている❗️❗️❗️

”良い実を結ばない木”は、全て切り倒されて、業火に投げ込まれるぞ❗️❗️❗️」

その言葉は緊急性を帯びていた。「時間がない…裁きが来る」否応のない不安が押し寄せ、群衆の一人がヨハネに尋ねた。

「そ…それでは、私たちは…一体どうすれば良いのでしょうか❓」

ヨハネは語気を弱め、諭すように答えて言った。

「下着を二枚持っているものは、一つも持たない者に分けなさい。食べ物でも同じ事…皆で分け合うのだ」

多くの者は、自分の生活に汲々としていて、他人を思いやる余裕などなかった。そのような心の貧しさに言及した言葉である。しかし、決して不可能な要求ではない。ヨハネが言っているのは

独り占めするな

という事である。この後、続く言葉も、その事を言っている。

取税人(税金の取り立て人)たちも質問した。

「先生、私たちはどうすれば良いのでしょうか❓」

この時代の取税人というのは、民衆からひどく嫌われていた。というのも、取り立ての手数料は、取税人の裁量でそれぞれが決めていたために、取税人は私腹を肥やすため、水増しされた税金を民衆に徴収していたのだ。恨まれるて当然というもの。

ヨハネは答えて言った。

「決められたもの以上に取りたてるな❗️❗️それだけの事だ❗️❗️」

兵士たちも、ヨハネに質問した。

「私たちはどうすれば良いでしょうか❓」

ヨハネは答えて言った。

「無実の者を責めたりするな❗️❗️

力ずくで金を巻き上げたりしてもいけない❗️❗️

自分の給料で満足しなさい❗️❗️」

兵士と取税人は、言えばグルであった。取税人の法外な取り立てに、兵士も武力で加担し、分け前に預かっていたのである。この時代の社会秩序は荒みきっていた。

その荒みきった統治、政治に、真っ向から異を唱える者がいる。その声は力強く、弱き者に力と希望を与えた。

そんな中、群衆から、一つの疑心というか、直感の様なものが湧き上がった。

もしかしたら、この人がキリストなのでは❓

民は救い主(キリスト)の到来を待ち望んでおり、目の前にいる理想的な人物に、その期待を寄せるのは、ごく自然な流れに見えた。

しかし、民衆は、ある重要な点を見落としている…あえて考えない様にしているのかもしれない

ヨハネはレビ族の家系である

そんなヨハネが゛キリスト゛であるはずはなかった。

数々の預言の中でメシア(キリスト)はダビデの家系から現れるとされている

それだけ、このヨハネという人物の影響力は凄まじく、カリスマ、貫禄共に申し分なかった。

「もしかしたら、メシアなんじゃないか?」
民衆が口々にそんな噂を囁く中、それが耳に入ったのか、ヨハネは民衆全員に聞こえる様に、こう答えて言った。

「私は水でバプテスマを授けている…

しかし、私よりもさらに力あるお方がおいでになる❗️❗️

その方に比べれば、私など、

その方の”靴の紐を解く”値打ちすらない❗️❗️
それほど偉大な方が、もうすぐおいでになる❗️❗️❗️」

奴隷ですら、その主人の靴の紐を解くということはしない。靴の紐まで解いて尽くす…というのは、とても屈辱的なもので、この言葉の表すのはそのお方が、どれほど偉大であるのかを表す、最大限の表現と言えよう。

ヨハネの言葉は続く…

「そのお方は、全ての人々に”聖霊と火”のバプテスマをお授けになる❗️❗️❗️」

聖霊と火のバプテスマの意味を、民衆は理解出来ずにいた。しかし、はっきりと理解できたことがある

私はキリストではない

ヨハネが繰り返し伝えるのは、荒れた信仰への叱責

そして、ヨハネに民衆が抱く、誤った期待に対する、明確な否定であった。

私はただ、その道を整える者である

それでは一体、その偉大なメシアはどこにおられるのだろう?

偉大な人物バプテスマのヨハネを目の前にして、民衆は途方に暮れるのだった…

…13話に続く