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ロゴス #22

第22話『私は衰えなければならない』

〜過越の祭りを終えてのそれぞれの活動〜

イエスとその弟子達はエルサレムを離れて、田舎の荒野で人々にバプテスマを授けていた。正確にはイエスの弟子達がである。行なっていたのはバプテスマのヨハネと同様の水によるバプテスマである。これは、イエスがヨハネのバプテスマを讃えていたことが伺える。

一方その頃、バプテスマのヨハネも別の場所で弟子達と共に活動をしていた。場所は以前よりももう少し北に移動したアイノンという場所である。乾季で水が少なくなったが、その場所にはまだ豊富な水があったからである。

それぞれで並行して活動をしていたイエスとヨハネであるが、次第にイエスの方が盛況していき、ヨハネの元に訪れる人数は落ち着いていった。そんなある日のことだった。

ヨハネの弟子たちと、パリサイ派の信徒達との間で諍いが起こった。パリサイ派の言い分はこうである

「君たちの師であるヨハネが”向こう側にいるイエスの方が偉大な人”だと言っているじゃないか?…なら君たちの活動は意味ないんじゃないのかね?そのイエスは今、あんた達と同じようなことしていますよ?」

弟子達はヨハネを擁護しようと必死に食らいついたが、とうとう上手い切り返しもできぬままその口論は終わってしまい、悔しい思いをした。

モヤモヤと気分が晴れなかったので、弟子達は一喝してもらおうとヨハネの元に来て愚痴をこぼした。

「先生…この前あなたと一緒にいた人…先生が『より偉大だ』と言われたあの人が洗礼を授けてます…

先生が『より偉大だ』と言ってしまわれたので、人々は皆、あの人の方へ行ってしまいます…」

同意を求めた訳ではなく、非難している訳でもない。叱って欲しいという気持ちすらあった。揺れ動く気持ちを弟子達も自覚していたのだが、それをもどかしく感じていたので、尊敬する師であるなら、吹き飛ばしてくれるのではないかとの期待であった。実は弟子達は、自分の師より注目を集めるイエスに嫉妬していたのだ。

しかし、ヨハネは意外にも優しく語りかけてくるのだった。

「人は、与えられた使命以上のことはできない。私の使命はそのお方の道を整え

『私はメシアではなく、私の後から来るお方がメシアである』

と叫ぶこと。そしてお前達の使命は、私がそう叫んだことの証人として、伝えていく事なのだよ」

「しかし…先生…」

「婚礼では花嫁を迎えるのは花婿だ

私は花嫁でも花婿でもない…しかし嬉しい

私は花婿の喜びを聞いている友人だからだ

脇役であるが…私も喜びの中にいる」

そして続けた

「あの方はさらに盛んにならないといけない

逆に私は衰えなければならないのだ」

その言葉に、弟子達は寂しくなった。師は使命を果たされたのだと。

引退宣言ともとれることを弟子に告げたヨハネだったが、その後すぐに、表情はいつもように引き締まり、そして力強く言った。

「最後になるかもしれないが…私の使命は残っている」

そう告げて決意を示した。ヨハネはその使命を果たすため、エルサレムへ上ったのだった。

そしてヨハネは殺される

エルサレムへ上った理由は訴えるためであった。ヘロデ大王の息子ヘロデアンティパスが、兄弟ピリポの妻ヘロデアを不倫して奪い、結婚した。神の教えに背く不義であるが、その事を正面から咎めるものが誰もいなかったからである。

ヨハネはそれを厳しく追求し、それによって疎まれ、投獄された。

ヘロデアンティパスはヨハネの力を恐れたので、なかなか殺すことができなかったが、妻ヘロデアが娘のサロメにそそのかしたことによって、処刑に至る。その一連の出来事は衝撃的で、戯曲『サロメ』や数々の絵画などによって後世に語り継がれている。

さて、その頃イエスはヨハネ投獄の知らせを聞いて、ガリラヤへ立退くことを決めた。パリサイ人がイエスに注目を集めていたことも知っていたので、衝突を回避するためでもあった。

「まだその時は来ていない」

それだけしか告げず、突然移動することになったので、弟子達は驚いたが、それよりも驚いたのはガリラヤまでのルートである。イエスは

サマリア地方を突っ切って

ガリラヤへ向かうと言われるのだった。地理的にはサマリアを通った方が近いのだが、この時代のユダヤ人はサマリア人との接触を極端に嫌っていたので、遠回りでも迂回するルートをとる。

「どうかサマリア人が視界に入りませんように」

こんなことを神に願うほど、ユダヤ人はサマリア人を嫌っていた。これには数百年前に遡る根深い遺恨の歴史がある。

ソロモン王の死後、部族間の統制を失った統一イスラエル王国北イスラエル王国南ユダ王国に分裂した。その後、北はアッシリアに、南はバビロンにそれぞれ滅ぼされ、長い捕囚の後に帰還することになるのだが、北の部族はアッシリアの施策によって偶像礼拝が活発に取り入れられ、混血も進み、系譜にも、信仰的にも薄まっていた。それに対し、南の部族は以前の慣習などが破壊されずに、アイデンティティを保ち続けていたので(バビロンは柔和的施策をとっていた)解放後、エスサレムの神殿を再建する時に、南の部族は北の部族の参加を拒否したのである。そのため北の部族はエルサレム神殿へ礼拝せず、ゲリジム山に神殿を独自に建て、そこに礼拝するようになった。その後、南の部族はユダヤ人、北の部族はサマリア人となっていった。ユダヤ人はサマリア人を軽蔑し、サマリア人はユダヤ人に敵意を持った。その対立が、現在に渡る深い溝を作り出している。

「なぜサマリアを通って行かれるのですか?」との弟子からの問いに、イエスはこう答えて言われた。

「サマリアを通れば近い…それに…

会わなければならない者がいる」

弟子達は驚いた。

え❓サマリア人にお知り合いでもおられるのですか❓」

「まだ知りません…これから会うのです」

弟子達は言葉の意味がわからなかったが、イエスがどんどん進んでいくので、仕方なく付き従った。

晴れやかなイエスの表情とは対照的に、弟子達の足取りは重かった…

…23話へ続く