ロゴス #19
19話『カナの婚礼』
婚礼に招かれたイエスは弟子とともにガリラヤのカナに来ていた。
当時のラビ(先生、師)と弟子の関係は、実の親子よりも強いと考えられていた。(親とラビが同時に溺れていたら、どっちを助けるか?と質問されたら、弟子はラビと答えた)それほど強い共同体なので、イエスの招かれた婚礼に弟子が同行するのは自然な事
イエスの母マリアもそこにいて、身内として宴会を切り盛りしていたのだが、予想を超える客数で大いに賑わう宴会は、終盤にさしかかり、一つの問題に直面した。
ぶどう酒が底をついたのだ
マリアは困り果ててしまった。あんなに用意しておいたぶどう酒が無くなるとは…
当時の婚礼の宴会は一週間ほど続くこともあり、その期間客人をもてなし続けるので、大量の酒と食事を必要とした。招待客はそのもてなしに見合うだけの贈り物を携えてやってくるので、宴会の途中で食べ物や、酒が途切れてしまうのは失礼に当たるし、何より主催者側の恥となる。当時の資料では、食事などが十分用意されていなかったことで、贈り物との釣り合いが取れないと訴訟にまで至ったケースもあるという。ここでのぶどう酒が無くなったということの緊急性は、現代人には計り知れないであろう。
「そんな❗️❗️…どうしましょう❗️❗️…イエス❓ぶどう酒がもうないわ❓どうすれば良いでしょう❓❗️❗️」
マリアは取り乱して、イエスに助けを求めた。父ヨセフはこの時すでに亡くなっている。頼れるのはイエスしかいなかったのだが、その物言いは息子に命令する口調のそれであった。
その様子に、イエスはマリアから少し距離を置いた。そして冷静に諭した。
「”女の人よ”
あなたは私とどんな関係があるのです?」
イエスは弟子をとったラビ(教師)であり、マリアに従う息子という段階はとうに過ぎ去っている。公衆の面前でのマリアの行動は不適切であるので、イエスは距離をとったのだ。
「私の”時”はまだ来ていません」
イエスが最後につけ加えた”私の時”の意味をマリアはよく理解できなかったが、自分の行動が不適切だったことに気が付けるほどには落ち着きを取り戻したので、今度は召使いに対して、改めて指示を出した。
「あの方(イエス)が言われることを、何でもしてあげてください」
そう指示を受けた召使い達は、イエスの元に歩み寄り、指示を仰いだ。
「どういたしましょう?」
さて、イエスは歩き出し、水がめの前まで行くと、それを指差し
「水がめに水を満たしなさい」
と言われた。
ユダヤ人の清めのしきたりとして、食事の前と後に必ず手を洗うという決まりがある。宴会では大勢の人たちが清めを行うので、大量の水が用意されている。そのための水がめで、ここには80ℓ〜120ℓまでの大きな石の水がめが、計6つ用意されていた。イエスはその全てを水でいっぱいにするように言った。
言われた通りに召使いは水で満たし、次の指示を待った。
一体、これからどうするんだろう❓…
召使いも、弟子達も、母マリアも、イエスの一挙一動に刮目した。すると突然だった。
「…さあ、今汲みなさい
そして、それを世話役の所に持って行くといい」
一同は驚愕した。イエスは手を触れてさえいない。ただの水を客に振る舞うとでもいうのだろうか❓
〜
そのころ宴会場では、世話役が追加のぶどう酒を今か今かと待ちわびている。しかし、薄々気づいてはいた。「もうそろそろぶどう酒が尽きてもおかしくはない…この度の宴会は酒が進みすぎている」
そんな時だった。大量のぶどう酒が宴会場へ運ばれて来たのである。世話役は不思議に思った。「こんな量のぶどう酒が一体どこにあったというのだ?」
世話役は「ちょっと」と召使いを呼び止めると、そのぶどう酒を一口含んだ。出所の不明なぶどう酒であったので、本物のぶどう酒であるのか不審がったのだ。味見を終えた世話役は驚いたような表情で花婿の方を向いた。
そして、近づいて行くと、軽く頭を下げ、讃えた
「素晴らしい❗️❗️
普通なら、良いぶどう酒は先に出してしまうものだ❗️
そして、酔って味もわからないほどになると悪いぶどう酒を出してきて誤魔化そうと考えるものもいる…
しかしどうだ❗️❗️
このぶどう酒は今までで最高のぶどう酒だ❗️❗️
こんな良いものを最後までとっておくとは…
いや、さすがです❗️❗️❗️」
この”しるし”を目の当たりにした弟子達は、大変驚愕し、そしてイエスを信じた。これが”最初のしるし”とされる有名な『カナの婚礼』である。
宴会は大盛況のまま幕を閉じた。
…20話に続く