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ロゴス #33

第33話『断食論争』

マタイの家での宴会は続いている。そんな中で、次の質問がイエスに投げかけられた。

「ヨハネの弟子達は、よく断食しており、祈りもしています。もちろん、私達も同じです。なのに、どうしてあなたの弟子達は食べたり飲んだりしているんですか?」

この宴会は断食の日に行われていた。イエスの時代になると、パリサイ派は週二回(月曜日と木曜日)に断食をしていた。

しかし、旧約聖書の定められている断食の日は年に一回の贖罪の日だけである。捕囚期以降に、自発的に4回の断食が加わったが

それでも、年に4回で、それが飛躍を重ねて、週二回の頻度にまで増えた。これは全て

口伝律法

による規定である。

この時代にはこの口伝律法が聖書以上の権威を持つようになっていたのだが、この律法は人が作った律法であり、神から下ったモーセの律法のような経緯ではない。目的としてはより厳しい律法で縛ることで、モーセの律法をより厳しく取り締まる目的で始められたのだが、それを作成した律法学者たちの思い入れなのか、自分で作成した律法に重きを置くようになり、立場が逆転しているという、本末転倒な状態にあった。この口伝律法をまとめたものが、現在のユダヤ教の正典タルムードとしてまとめられることになる。

この口伝律法というのは字の通り口伝えの律法であり、書物としてはまだ纏められていない。この口伝律法を暗記していて、人に教えたり、裁いたりするのが律法学者と呼ばれる人達である。

民意としては、

メシアは口伝律法も遵守するはずだ

と考えられていたのだが

イエスは口伝律法を守らない

このことが律法学者や指導者などとの軋轢を生むことになり、その対立はどんどん悪化していくことになる。イエスと宗教的指導者との争いのほとんどは、口伝律法についてである。

イエスは言葉を返した。

「結婚式で花婿が、一緒に付き合う友達に断食させますか?」

結婚式に行くのは、ご馳走に預かるためであって断食するためではない。ユダヤの婚礼は7日間続いた。その間、断食は禁じられている。そして、

神は断食するのかどうかにはこだわっていない

ゼカリヤ書 8章 19節「第4の月、第5の月、第7の月、第10の月の断食は、ユダの家にとっては、楽しみとなり、喜びとなり、うれしい例祭となる。だから真実を平和を愛せよ」

イエスは次のたとえ話を始めた

「誰も、新しい着物から布切れを引き裂いて、古い着物に縫い付けるようなことはしません。そんなことをしたら、新しい着物は引き裂かれるし、新しい布は、古い布には合わないからです」

新しい布切れは洗うと縮む。なのでたとえ話のようなことをすれば、新しい着物も、古い着物もダメになるという意味

「また、誰も新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れないといけない」

当時、ぶどう酒は皮袋に入れて運んでいた。古い皮袋は、長く使用されて、伸びきっている。そこに新しいぶどう酒を入れたなら、発酵力が強いので皮袋は破裂するが、新しい皮袋の場合は、弾力性に富んでいるので、持ちこたえることができる。これは当時の人たちにとっての常識であった

「また、誰でも古いぶどう酒を飲んでから新しいものは望まない。なぜなら古いぶどう酒の方が味が良いからです」

古いぶどう酒とはモーセの律法を正しく解釈。新しいぶどう酒とは、モーセの律法を逸脱した口伝律法

この四つのたとえ話は全てモーセの律法の正しい解釈と、行き過ぎた現在の口伝律法の関係を論じたものである。この二つを調和させたり、合体させたりすることは不可能であることを言及している。

イエスは正しいモーセの律法を教えるため…

そしてモーセの律法の成就のために来た。

ちなみに、イエスが断食をしたのは、サタンと対峙した荒野での40日の断食以外にはない

イエスは一貫して口伝律法を否定し続ける

そのことは衝撃的で群衆の目を惹いたが、律法学者たちを追い詰め、後にイエスを十字架へと導いて行く…

34話へ続く…