もやもやを晴らす。無意識に奴隷化した哀れなファン心理に迫る。

この文章は二つの体裁を持つ便所の落書きである。
一つは私の憂さ晴らしだ。もう一つは、どこぞのうんちゃライブのファンに見られる現象についての考察だ。
早速始めよう。皆様、ポケモン楽しんでいますか?私がするのは大昔にあったとあるポケモン大会での一幕である。そこで私はプロとは何か?Vtuberとは何かを考えさせられる2人の人物と出会った。
その大会では抽選枠と固定枠があり両名とも固定枠で選出された所謂企業勢であった。ここでは仮にAさんと月宮雫としておこう。
Aさんは集合時間前から現場入りし、ウィットに富んだ会話で緊張する抽選枠の我々と楽しくおしゃべりし、大会の結果も笑いを生むエンターテインメントとして最高のものだった。
一方月宮雫は最後まで控え室に現れず、試合後の会話でも口数少なく放送事故を起こし、もっと言えばこの女は準備段階でトラブルを発生させた結果私の準備が間に合わず納得のいかない敗北を押し付けられたのだ。
別に敗北は構わないのだ。しかしその敗北がエンターテインメントとして失格、事実大会は盛り上がりに欠けたまま閉幕することとなってしまった。
さて、ここで疑問に答えておこう、何故月宮雫だけフルネーム公開なのか?それはこいつが金儲けだけを考えて現れ消えた愚かしい存在であるためである。事実数年前に突然引退()し消えたロクデナシである。
こういうのが現れる原因はファン側にもある。ではもう一つの話題に移ろうか。
Vtuberとは、表現者であり、酔狂者であり、胡乱な存在であり、革命者であり、愚者である。
そういった存在にファンが付くのは至極突然なのだがここで一つの問題が上がる。それはファンの二極化だ。
片方は3D2D技術や表現技法、生き様に感銘を受けそれらを目指そうとする同志型、もう片方はファンであることも目的とした応援型である。
まぁどちらも結局は自分の範囲でやれることをやっているだけなのだが、応援型の中、とりわけ箱推しと言われる大きな数字を持ってるものだけを応援し金銭をいくら使ったかだけしかない無意識な奴隷と化しているファンも少なくない。
この奴隷たちは自ら生み出す気概も技術も無くかと言ってそれらから離れた《古い人間》にはなりたくない、というのが行動原理としてあるのだろう。
その彼らの指標が古い人間の作った数字なのは皮肉なものだ。

は~~~スッキリした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?